2019.4.5

【保存版】平成最後の大総括!日本語レゲエの30年史-Episode3:2010年代~あとがき-

【保存版】平成最後の大総括!日本語レゲエの30年史-Episode3:2010年代~あとがき

【保存版】平成最後の大総括!日本語レゲエの30年史-Episode3:2010年代~あとがき

10年代

2010年代のレゲエシーンはまさに「どん底」の中から始まった。

ブームの直後で反動がモロに出てしまったことが一番大きいが、時代の流れでCDの売り上げが立たなくなってしまっていたこと。また、風営法の絡みで多数のクラブが摘発されるなど、根本からシーンが揺さぶられるような問題が起こっていた。

 

そして迎えた2011年、東日本大震災。

 

この未曾有の大災害を前に中止や延期となる音楽イベントも頻出し、もともと、暗かった業界内の雰囲気は輪をかけて暗くなっていった。

しかしそんな中でもラガマフィンは強かった。

 

 

この頃、『EVERYBODY GO SO』『414141』という、それぞれ関西、東海を拠点に活動する実力派サウンドマンがMICを握った曲が地下シーンで急速に人気を集め出し、正式リリースもされていないまま、その勢いは全国に波及していった。

 

歌っているサウンドマン達が皆、“JUGGLIN”の現場で名を馳せた者たちだからなのであるが、サウンドシステムの爆音で流れる日本語曲で、皆が同じ振り付けで踊り出す様は何とも圧巻で、「新時代」の到来を強く感じさせた。

もともと、「洋楽志向」が強かったレゲエダンサーのシーンであるが、あの頃を境に日本人の楽曲でも踊る流れが出来たように思う。

 

そして、サウンドマンなど「非MIC持ち」が歌う……という文化は、そもそも『TONY MATTERHORN / DUTTY WINE』のHITで00年代中盤にはあったものだが、この10年代初頭のムーヴメントを目の当たりにした時は

「アイデアと行動力さえあればレゲエは誰にだって面白いことがやれるんだぜ!!」

という、この文化の「根本」を改めて教えられた思いだった(※『414141』で歌っているカリスマゾンビなど、サウンドマンでもなくずっとイベントプロモーターをやっていた人物である)。

 

あの時ほどこのカルチャーが持つ強靭な生命力を感じたことはない。

 

『414141』でMr. SEARCHが叫ぶ「誰も死にません!!」は、「酔いつぶれません!!」という意味で言っているのだが、自分には

「レゲエも、それに関わる俺たちもな、誰一人として死んじゃいねぇんだよ!!」

と言ってるように聞こえて仕方がなかった。

 

そして“現場発”のHIT TUNEと言えば、この曲を忘れる訳には行かないだろう。

 

 

ご存知、『もぐらの唄』である。

2011年にリリースされた同曲は、大々的なプロモーションもなされていないままSNSを介して全国に広まっていき、最終的には海の向こうで偶然曲を耳にしたメジャーリーガー・田沢純一投手が同曲に惹かれ自身の登場曲に使用するという奇跡のような出来事をも巻き起す。当時ヤフーニュースにも採り上げられたので覚えている方も多いのではないだろうか。

 

参考リンク:世界が武者震い!RED SOXを世界一に導いた田沢投手の登場曲「もぐらの唄」とは。 | エンタメウス

 


 

“この先も色々あんだろう

それならその度にがんばろう”

 

シンプルで力強いメッセージは“ブーム”に翻弄された全国のラガマフィンの心を熱く奮い立たせた。そうなのだ。山あり谷ありは当たり前。その度、その度、がんばるしかない。“泣いても笑っても人生は一度きり”なのだから……。

 

『もぐらの唄』は紛れもなく日本語レゲエを代表する楽曲のひとつとして完全に認知され、2019年の現在、YouTubeの再生回数も1000万回を突破している。

 

2010年代は「日本一のレゲエ激選区」大阪の底力を感じた10年でもあった。

日本人ものの一連としては泉州の老舗サウンド・BURN DOWNのレーベルSOUTH YAAD MUZIKからリリースされた『STEP UP Riddim』がシーンを席巻! 中でも『HISATOMI / MY DREAM』が同リディムを象徴するようなHITチューンとなった。

 

この頃の大阪シーンのキーマンと言えば“教授”である。“某・超有名国立大学を卒業!”という異色の経歴の持ち主で、JUDGEMENTのTUCKERが興したレゲエレコード店『ROCKERS ISLAND』に、ストアスタッフとして入社後、メキメキと頭角を現しROCKERSの中枢を担う存在に。

 

00年代レゲエブーム時のROCKERSは東京・大阪・札幌に三店舗を構え、世界有数のレゲエレコードの在庫量をキープ。06年には英BBCで、「1年間に80万枚のレコードをジャマイカからロッカーズ・アイランドへ向けて輸出。日本には世界最大規模のレゲエ専門レコードショップがある」と、ニュースになるほどであった。

そこで得た豊富な資金を用い、自社レーベルや情報サイト『ROCKERS channel』を運営。単なるレコ屋を超え“日本の一大・レゲエカンパニー!”として不動の地位を築いていた。

 

ROCKERSで実績を積み上げる中で、教授は同社の音楽レーベル事業にも携わり始め、関西圏を中心とした日本人アーティストのプロデュースを開始。自身がトラックメイキングを手がける他にも、時には作詞作曲の共作者として楽曲制作に参加し、シーンの底上げに一役買っている。

 

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そんな彼がフックアップしたアーティストが『寿君』である。

奈良県出身のレゲエDJで下積み時代は『MOUNTAIN KING』という芸名で活動していたが、RED SPIDERのJUNIORに『寿君』と命名されて以来、急速にアーティスト人生が変わり始め(※日本レゲエ界にはジュニアさんが芸名を付けると売れる、というジンクスが存在する)、10年代のはじめにはシーンの最前線に躍り出る。代表曲『オレトオレバ』『オレガヤレバ』などでは教授が作詞作曲を共作。

 

2018年にはTUBEの同名曲をサンプリングするというド直球のPARTY TUNE『あー夏休み』を引っ下げてメジャーデビュー。

ねたがJ-POPの有名曲、ということで賛否両論を起こしつつもレゲエ代表として邦楽シーンでサヴァイブを続けている。

 

 

 

 

「西」が熱ければ、もちろん「東」も負けてはいない。

2013年には東京のSPICY CHOCOLATEがプロデュースした『ずっと』がNTTドコモのCMソングに起用され、HIT。アルバムもオリコン初登場3位に輝いている。

 

POPなイメージを持たれがちなSPICYであるが、元々は90年代から活動する老舗レゲエサウンドで(※現在はKATSUYUKIのソロ・ユニットとして活動)、全国規模のダンサーコンテストやDJコンテストなどの主催などを通じて、影となり日向となりシーンを支え続けてきた人物である。

2018年には自身が選抜したレゲエDJを率いて人気TV番組『フリースタイルダンジョン』にも登場。同番組初の『レゲエ編』を大成功に導いている。

 

結成から既に25年に及ぶ月日が経とうとしているが、日本におけるSPICY CHOLATEのレゲエ普及活動は、これからも「ずっと」続いていくのだろう。

 

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また、『Magnum Records』の存在もことのほか重要だ。

現場からの比類なきPROPSを受け、Rudeboy Face、Akane、Rueedという“黄金のトライアングル”は、今も止まらず現在進行形で日本語レゲエをアップデートし続けている!!

 

 

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そして、J-REXXX。

都内で開催されていたDJコンテスト『Ragga Cup』に優勝したことをキッカケにCDデビュー……というバックグラウンドからも分かるように、活動初期から“現場”での強さには定評があるアーティストで、コンテスト荒しとして知られていた。

 

だが、音源のBIG HITにはなかなか恵まれず、長い下積み生活を送ることとなる。

 

そんな彼に転機が訪れたのが新進気鋭のトラックメーカー774とタッグを組んでDROPされた『M.U.S.I.C』のBUSSで、ここから完全に才能が開花し、10年代の日本における最重要レゲエDeeJayの一人として数えられることとなる。

 

音楽性そのものは正当なブラックミュージックの流れを汲むものであるが、オーセンティックなPUNKファッションに身を包み、“REGGAE”に捉われずジャンルを横断してどんな現場でも盛り上がる様は正に唯一無二!!

日本でもっとも“鬼ボス”という言葉が似合う男である。

 

 

 

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2010年代はベテラン勢の海外での活躍にも心躍らされた。

名古屋をレペゼンし、90年代より活動を続ける『ACKEE&SALTFISH』は、2014年に自らの“原点”でもあるジャマイカに渡り、久方振りに現地で本格的な音楽活動を開始。

永年のキャリアで培った巧みなパトワを武器に大小問わず現場をBUSSし続け、歴史と伝統ある『REBEL SALUTE』や年末恒例の『Sting』にも出演を果たす。

 

ちょうど14年は日本とジャマイカの国交50周年の年に当たり、YouTubeの向こうでパトワ語で黒人たちを盛り上げるACKEE&SALTFISHは、まさに“音楽の親善大使”そのものであった。

 

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そして、10年代に“ジャマイカをBUSSした日本人”と言えばもう一人、RANKIN PUMPKINである。

彼女も永年ジャマイカで音楽活動を続けている日本人アーティストであるが、2017年にオーディションを通過し、現地の人気番組『Magnum Kings & Queens of Dancehall』に、唯一の日本人DJとして出演。約4ヶ月に及ぶ同番組の勝ち抜き歌合戦企画においてファイナルまで進出し、ジャマイカ全土にその名を轟かすこととなった。

 

RANKIN PUMPKINは、冒頭に記した80年代レゲエマガジンの『日本レゲエDJ名鑑』にも載っているベテランアーティストで、2017年は彼女が伝説のコンピ『ニポニーズラガマフィン』でCDデビューして、ちょうど「25年目」に当たる年であった。

 

その永年のキャリアの中で、日本の数万人を集客するような大型フェスに出演した訳ではないが、まさかこんな形で世界で有名になるとは誰が予想し得ただろうか!?

レゲエの言葉を使うなら、まさに“GUIDANCE”である!!

 

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また、名古屋をレペゼンするレゲエシンガー『MACHACO』は、先述の二組とは違ったベクトルで、世界に向けて日本語レゲエを発信したアーティストである。

 

彼女も90年代初頭より活動を続ける大ベテランで、2008年アルバム『Precious』でメジャーデビュー。同作は9割が彼女が単身ジャマイカに渡り、現地の一流ミュージシャンとセッションして制作された楽曲で占められているが、このことが切っ掛けで業界内で存在がちょっとした噂となり、10年代にはUKの『Necessary Mayhem』や『Tippa Irie』、ニューヨークの『Manila Jeepney』など、多数の海外レーベルから作品をリリース。

 

“日本語で歌われたLOVERS ROCKを世界に届けられるワン&オンリーのアーティスト”として、日本語レゲエの可能性を広げ続けている!

 

 

 

こうして振り返ってみると、2010年代は「日本語レゲエ」というカルチャーが、かつてないほどの広がりを見せた10年間であったことが分かる。

そして、中にはこんな“オリジナル”な存在感を発揮しているアーティストも。

 

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北陸は福井県のベテランレゲエシンガー・SING J ROYは、00年代後半SUNSETレーベルに籍を置いていた頃の活動でご存知の方も多いと思うが、その頃リリックすべてを福井弁で書き下ろした『ほやほや』『だんねーざ』(※『ほやほや』は福井弁で『そうだ、そうだ』と相槌を打つ時に使われる言葉。『だんねーざ』は問題ないという意味)という楽曲が福井県内でローカルヒットを飛ばし、県内の小・中学校に音楽の特別講師として招かれるようになる。

 

その活動は今も継続中で全国規模に拡大しており、訪れた学校は県内外合わせて既に60校以上を突破!!

 

日本屈指のROOTS REGGAE BAND『ZION HIGH PLAYERS』と10年以上寝食を共にし、“RASTA”の思想を信条とする氏であるが、現在の活動は

「自分たちの『ROOTS & CULTURE』をどうやって後世に伝えていくか?」

というラスタマンとしての命題に、彼が日本人として、福井人として、答えを出した結果なのかも知れない。

 

 

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また、ダンスホールのシーンとはあまりLINKがないのでご存知ない方も多いと思うが、東北は秋田発のレゲエ・バンド『英心 & The Meditationalies』もユニークな存在感を発揮している。

 

フロントマンの男性ボーカルが現職のお坊さんということで“現役僧侶が在籍する仏教レゲエ・バンド!”という触れ込みで知られているのだが、単なる色物(スイマセン)かと思いきや、作風は正統派そのもの! 『ROCKERS』を思わせるオーセンティックなレゲエのリディムに、見事に日本語詞を乗せている。

 

評論家筋からの評価も高く、老舗音楽誌『ミュージックマガジン』では1stアルバムが、2015年度の“国内レゲエ部門・年間ベストアルバム”の、栄えある第一位に選出。

また、2018年にレゲエが「ユネスコ無形文化遺産」に登録された際は、“日本にもこんな面白いレゲエアーティストがいる!”と、朝日新聞の『天声人語』にもその存在が紹介された。

 

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2000年代、「クイーン・オブ・ジャパニーズ・レゲエ」と呼ばれたPUSHIMは、ブーム期が過ぎさって尚自身の音楽性を強固なものとし、近年のMUROプロデュースによる一連の作品や、「レゲエ」畑以外の数々の有名フェス出演などを通して、もはや「ジャパレゲ」の枠を越えた存在として完全に認知される。

 

奇しくも今年、2019年はPUSHIMの“デビュー20周年”に当たる年でもある。

 

古い歌を持ち出して恐縮だが、彼女は“今ここに立って何を思うんだろう?”。

その答えは、彼女が“歌”で教えてくれるだろう。

 

どんなに大きな存在になったとしても「TOKIWAの歌姫」「クイーン・オブ・ジャパニーズ・レゲエ」と呼ばれていた頃から何も変わらぬあの声で。

 

 


 

89年、平成元年にRANKIN TAXIが処女作『火事だぁ』をリリースして今年で30年。

その間に二度のブームが起こりアップダウンもあったが、それも乗り越えて「日本人による母国語のレゲエ・ミュージック」は独自の進化・発展を遂げてきた。

00年代ジャパレゲブームの“象徴”でもあった、東の『横浜レゲエ祭』、西の『HIGHEST MOUNTAIN』の二大フェスは、時の流れの中で一時は休止した年もあったものの、現在も継続中で、このカルチャーに火を灯し続けている。

そして、今や“日本語のレゲエ”は、海を越え世界的な広がりすら見せようとしている。

地球の裏側からやってきたこの文化は「30年」という時を経て、完全にこの国に「定着」したと言えるのではないだろうか。

 

30年に及ぶ「平成」という時代を、日本語のレゲエは赤黄緑で鮮やかに彩ってきた。

 

この先この文化はどこに向かい、どう変わっていくのだろう?

まだまだ目が離せないことは確実だし、ぼくもまだまだ見守っていこうと思う。

 

この文化を愛するすべての人たちに敬意と愛を!

 

あとがきにかえて 〜青春にケジメをつけるために〜

……ここまで書いておいてなんですが、ここで綴られている日本語レゲエの歴史は「不完全」なものです。

本当は「30年」なんで、それにちなんで元原稿は3万字ほど書きまして。それでも足りないぐらいだったのですが、もうネットの一記事に収めるには余りにも長すぎるということで(汗)、編集サイドとも協議の結果、2万字ちょっとまで減らしました。

本当はまだまだまだまだ……書きたいことが山ほどあるのですが、ひとまず今回はこの辺で置いておきます。

というのも、今回このテーマで書くのが決まった時「日本 レゲエ 歴史」とかで検索してみたのですが、全然、情報が出てこなくてびっくりしました。内容うんぬんは置いとくとしても「REGGAE」のスペルが思い切り間違ってるジャパレゲのまとめ記事がけっこう上に出てきたりして……ちょっとこれは、何とかせにゃならんなと。

とりあえずネット上にある程度のガイドラインを作る必要があるんだなと、強く思った次第です。

 

なので自分の書いた記事を「補完」する意味でも、これを読んだ皆さんがSNSなどでやいのやいの言ってくれたらこれ幸い! そーいうことを通じてこの音楽に対する理解が深まってくれたら自分も書いた甲斐があります。

「日本語でレゲエが歌えんのかよ?」
「日本人にレゲエがやれんのかよ?」

そんな風に言われた時代がありました。
おどけた歌詞を歌うだけで色物扱いされるような時代がありました。

それを乗り越えて「日本語のレゲエ」をひとつのアートにまで高めたのはひとえに多くの先輩方の努力のたまものです。素晴らしい音楽だと思ってます。

 

“あー、レゲエ好きなんですか? レゲエってあれでしょ、めっちゃ親に感謝しまくる……”

 

初対面の人に「日本人のレゲエ聴いてます」とか言うと、未だにそんなこと言われることもあってウンザリします。けども、“この先も色々あんだろう それならその度に…”なんで、がんばって伝え続けようと思います。日本語のレゲエが更なる発展を遂げることを心から願って!

 

そして最後になりましたが、自分も元々はレゲエDeeJayとしてMICを握っていた人間でした。

 

16歳の時、福井の田舎でSING J ROYと出会って“君もレゲエ好きなの? おれ達のやってるイベントに遊びに来ねや! 歌ってみねや!”と言われたこと。行ったらゲストで来ていたLADY Qに“ソロバンタン”という芸名をつけられたこと。

一生忘れない、かけがえのない思い出です。

 

あれから20年近い月日が流れて、もう歌うこともなくなっちゃったけど、未だに“ソロバン”のままでレゲエ関係の原稿を書いています。

そんな自分にとって、「日本語レゲエ」の歩みを振り返る記事を書くというのは、何とも“特別”なことでした。

 

「平成」も終わるこの時に、やっと自らの青春にケジメをつけれた気がします。

ありがとうございました。

 

 

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【SOLO BANTON】

ライター / デザイナー。全国各地のフライヤーやCDジャケットをPOPに美しく彩る『ソロバングラフィック』代表。また音楽ライターとしても活躍し、特に日本のレゲエシーンにおけるトレンドを生み出す重要人物として広く知られている。

 

 

 

<関連記事-【保存版】平成最後の大総括!日本語レゲエの30年史->

>>>Episode1:89年~90年代

>>>Episode2:2000年代

>>>Episode3:2010年代~あとがき

 




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