Interviewer&Text by TAKANE
関西のレゲエ界、いや日本のレゲエ界の重鎮BOOGIE MAN。”PACHINCO MAN”、”大阪の街”など、90年代は彼の活躍によってお茶の間にもレゲエというジャンルが知られることとなった。今回そんなテイチク・レコード所属時代の音源が、満を持して配信開始、24×7レコードからは、大ヒット曲”PACHINCO MAN”の7インチレコードも発売となる。このインタビューでは、日本のレゲエ創世記を牽引してきた男に、当時の制作秘話から配信への思いまで深く掘り下げて語ってもらった。ジャパレゲの「いろは」、学ぶ準備はできているか?
●今回のテイチク・レコード所属時代の音源配信と”PACHINCO MAN”の7インチレコード発売の経緯をお伺いしたいです。
BOOGIE MAN:24×7レコードの八幡さんから「BOOGIE MANの音源配信に関する問い合わせがあるから配信してみないか?」と言われて、そこから始まった。八幡さんがテイチク・レコードにも話を通してくれたのもあって、それで今の流れになったね。7インチレコード発売に関しては、八幡さんが「いつか俺の何かをやりたい」って言ってくれてたのがきっかけかな。ちょうど24×7レコードの会社が20周年になるから、記念として、今まで出したことのなかった7インチのレコードを出すことになった。
●八幡さんとはどういう繋がりで出会われたんですか?
BOOGIE MAN:俺は”PACHINCO MAN”からテイチク・レコードに所属させてもらっていたんやけど、自分のフルアルバムを作る時に、ジャマイカで音を作ったり、レコーディング作業をすることになって。その時テイチク・レコードで洋楽のレゲエ担当の社員やったのが八幡さん。それでジャマイカでアルバム制作の作業をするにあたって、八幡さんにジャマイカについてきてもらってスタジオをとったり、ミュージシャンを集めたりっていう作業をしてもらってからの付き合いやね。
レゲエとの出会いとキャリアの始まり
●BOOGIEさんはすごく長いキャリアがありますが、レゲエZIONの若い読者にもっとBOOGIEさんのことを知ってもらうため、基本的な質問からさせてもらいますね。まずレゲエとはどうやって出会われたんですか?
BOOGIE MAN:中2の時に友達のお兄ちゃんが聞いてたボブ・マーリーのカセットを聞かせてもらって、かなり衝撃を受けてそこからレゲエしか見えへんぐらい入り込んでいってしまってん。その頃レゲエっていうのはよっぽど音楽好きで色々聞いてる人じゃないと知らんぐらいのジャンルやったから、もうちょっとマニアみたいな感じやったね。そこからあちこちのレコード屋いってレゲエ探しては聴いてっていう感じから始まったなあ。
●歌い始めも中2ですか?
BOOGIE MAN:そうやなあ。そこから色々聴いていくうちに、「Deejay」ってなんやろ?って思い始めてん。こっちかなあ(ターンテーブルを操る仕草)って思ってたんやけど、聞いてみたら違うし。そこから少し遊びで歌い始めて何年か経ってから、ジャマイカの現地のサウンドシステムを録音した海賊版のテープを聴いて、それでまたさらに衝撃を受けて、さらに本気でやりたいと思い始めた。
●その当時は日本語で歌ってる方っていらっしゃったんですか?
BOOGIE MAN:俺が知ってる限りではランキンさんぐらいかなあ。俺が知らんかっただけかもやけど、80年代半ばぐらいからちらほら出てきて90年代中頃に入ると結構おったよ。
●Deejayとしてはどういうところで歌い始めたのですか?
BOOGIE MAN:当時はクラブとかほとんどなかったから、ライブハウスのイベントに呼ばれて行ったりとか、自分たちでやったりとかかなあ。それから谷町やミナミにレゲエの有名なお店ができて、そこに出入りするようになったなあ。でもまだその頃高校生ぐらいやったから車も持ってなくて、いつも集まってる溜まり場の友達に車乗せてもらってクラブ行ったりとかはしてた。それが後の「近藤組」(BOOGIE MANが中高生の時に始めて組んだクルー)やね。
●当時はイベントの情報ってどうやって仕入れてたんですか?
BOOGIE MAN:それこそ服屋やレコード屋とか街にチラシ貼ってるの見たりとか。あとは口コミかなあ。
大ヒット曲”PACHINCO MAN”とメジャー移籍〜レゲエの文化を理解してもらうところから〜
●Deejayとして活動を始めて、ブレインウォッシュ、エアソニックなどの様々なクルーを経て、1994年の”PACHINCO MAN”のヒットですよね。この曲もそうですが、BOOGIEさんの風刺的な歌詞のスタイルってどこから来てるんですか?
BOOGIE MAN:毎週のようにクラブで歌ってる時に、楽しいだけもありやけど、もっとメッセージ性があったほうが楽しさが倍増すると思ってん。意味あることを言って、共感してもらったほうが面白いなって自分の中でなって、そこから社会風刺的な方に進んでいったんかな。誰かの影響とかでもなく自然と。
●”PACHINCO MAN”はパチンコ店のCMソングですが、曲ができたのが先か、CMに決まったのが先がどちらですか?
BOOGIE MAN:曲ありきやね。たまにクラブで歌ってる曲の一つやって、それをパチンコ屋の人の知り合いのプロデューサーが聞いてくれたのがCMに使われたきっかけ。
●パチンコをトピックとして選んだ理由はありますか? BOOGIEさんご自身が好きとか。
BOOGIE MAN:その当時はやってたね。近藤組の中の誰かがヒントを出したのが始まりだと思う。自分が見える景色を歌ったほうがリアルやと思うから。
●”PACHINCO MAN”がヒットしてから、生活は変わりましたか?
BOOGIE MAN:変わったなあ。それまではこれでほんまにメシ食えるんかなあって思ってた。それで成功しているような人って知らんかったし。このヒットでやっとメシ食えるっていうのが大きかった。
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”PACHINCO MAN" ヒット当時のBOOGIE MAN
●では制作の話を。当時の曲作りってどういう風なんですか?
BOOGIE MAN:基本的には今と同じようなもんなやけどね。自分の場合は近くにミュージシャンがおったから、それでリディム作ってもらって、そのままスタジオでレコーディングしたりしてっていうのが多かったかなあ。
●リディムは今はパソコンで作るイメージですけど、当時もパソコンで作っていたんですか?
BOOGIE MAN:ちょうどアナログからデジタルに変わる途中で。俺の知ってる人はどっちもできる人やったから、だいたいドラムマシンで打ち込んで「こんな感じ」っていうので初めて。ライブは生でやってたりもした。
●それって作ってもらえる人が近くにいないとかなり厳しい状況ですよね?
BOOGIE MAN:あとはジャマイカのレコードのバージョンを使って仮録するとかかな。
●連絡とかも全て家の電話ですか?
BOOGIE MAN:そうそう。でもギリギリ携帯でたかなぐらいで。
●当時のフライヤーって手書きのジャマイカ風のものなんですか?それとも写真が載ってる感じのものですか?
BOOGIE MAN:手書きが多かったかなあ。それで白黒の写真貼ってつけたり。メールもまだなかったから写真も郵便か手渡しやったね。今じゃ考えられへんけどそれが楽しかった。
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BRAIN WASH時代のフライヤー
●では”PACHINCO MAN”がヒットしてからののDeejay生活について教えていただけますか?
BOOGIE MAN:パチンコ屋で売るためのこの曲のサンプルCDをあるラジオのDJが何も言わないでかけたのがそもそものヒットの始まりやね。そしたら「今の曲なんやったんですか?」っていう問い合わせがすごかったみたいで、それならCDをちゃんと発売しようとなってたまたまタイミング良く当たったというか。そのへんでテイチク・レコードに所属させてもらって、まずEPを作った。「好きな事やっていいよ。」って言ってくれたから、自分は大阪出身やし大阪の曲をやりたいなと思って、まず”大阪の街”っていう曲を書いた。その次の年にみんなに協力してもらってフルアルバム『BIG TIME』を出したんかな。
●そのアルバムの制作秘話などありますか?
BOOGIE MAN:このアルバムはジャマイカで録音したんやけど、ジャマイカ初日に「初めてのジャマイカVSアメリカ」のサウンドクラッシュに、八幡さんと一緒に行った。歴史的にもすごいサウンドクラッシュやってすごく衝撃を受けたなあ。そのまま次の日からアルバムのレコーディングが始まったんやけど、作った曲の中にメジャーのレコード会社的にリリースできない内容の曲があって、急遽違う曲に差し替えをお願いされた。別の曲は用意してなかったんやけど、録音して帰らないとダメやったから「そうや。初日に見たサウンドクラッシュのことも素直に表現して書こう」と思って書いたのが”REAL TIME JAMAICA”っていう曲やってん。
●なるほど。その当時のリアルな体験を歌った曲なんですね。
BOOGIE MAN:この曲のリディムに関してもエピソードがあって。急遽もう一曲作らないといけなくなって、リディムをスライ・ダンバーにお願いすることになった。それでスライ・ダンバーの相方でロビー・シェイクスピアっていうベーシストがいてるんやけど、その人がたまたまフラっとそこに遊びに来た。それで「これやったらスライ&ロビーでリディムできるやん」って思って、八幡さんに交渉してもらってオケを作ってもらった。
●ジャマイカでアルバムを作った理由としては、向こうのミュージシャンとやりたかったっていうのが一番大きいですか?
BOOGIE MAN:それもあるし、当時一緒に録音で手伝ってもらってる人はレゲエ出身じゃない人も多くて。自分の事務所の社長さんとかスタッフさんとかもレゲエ出身じゃないんで、口で言うて説明してもわからんことを一発でわかってもらおうと思って、その全員で行ったんよ。それが一番大きい目的やったかなあ。
●それまではBOOGIEさん自身よくジャマイカは行ったんですか?
BOOGIE MAN:うん。行ったり来たりしてた。やっぱりジャマイカって特殊な国で、未だに不思議なことがいっぱいあるし、日本じゃ考えられへんこと起こる国やから。そういう空気感みたいなものも体感して知って欲しかったな。ジャマイカに一緒に行くのが一番てっとり早いなあと思った。
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ジャマイカの「BIG SHIP」スタジオ、ボイシングルームにて
●今はCDが売れないとか言われてますが。当時は音楽業界はどういう雰囲気だったんですか?
BOOGIE MAN:俺はまだレコード世代やねんけど、ちょうどレコードからCDに変わってきた時期で。ほんまはレコードで出したいなあって思ってたけど、「今はレコードダメっすよ。CDっすよ」っていう時代やったなあ。CDプレイヤーはだいたいみんな持ってたね。
●”PACHINCO MAN”のCDも昔よくあった縦に長いCDジャケットのちっちゃいCDでしたもんね。ジャマイカで作ったアルバム『BIG TIME』の反応はいかがでしたか?
BOOGIE MAN:割と良かったとは思うよ。そのへんからあちこち呼んでもらったり、取材とかテレビとかラジオとか色々あって結構忙しくなった。でもその当時自分も若かったから、テレビとかのメディアに対する見方が斜めやって。「テレビで俺のやりたい音楽って伝わるんかなあ。テレビでは無理やろ」と思って、テレビはずっと断ってくださいって言い続けてた(笑)。HEY!HEY!HEY!に出たのも、ダウンタウンさんが司会やったから会いたいなっていうぐらいの邪な気持ちで(笑)。
●当時の音楽業界のイメージは私の中でかなりイケイケなイメージなんですけど、メジャーでやってて「ちょっとコレは違うな」って思ったこととかはありますか?
BOOGIE MAN:「俺がやりたい音楽とかを理解してくれなさそうな人ばっかりやなあ」っていう気持ちやって。今思えば、「それを逆手にとって自分の表現したいことをアピールしたらよかったな」って気持ちになるんやけど。なんせ若かったか人の言うこと聞けへんし(笑)。「ちょっとちゃうねん」って思ってたから。
●具体的にどういう点ですか?
BOOGIE MAN:自分の中のレゲエの基本はジャマイカやったんやけど、ジャマイカってどこでも音楽がすごいいい音で流れてて。車にしても道端のスピーカーにしても、バランスを綺麗に合わせて、それがすごく気持ちよかった。やのに日本やとちっちゃい、テレビの音で聴いてしまってて、全く違う音楽に聴こえたりしてて、そういう部分でなんか引っかかってたこともあった。「ポップスとはちょっと違うよ、同じように思われたら嫌やなあ」っていうのもあったし。正直、”PACHINCO MAN”もちゃんと聴いてくれる人は、「パチンコばっかりやらんと仕事せえよ」っていう風刺の曲やってわかってくれるんやけど、さらっと聴いた人からは、ただの面白い曲みたいに思われるし。それでレゲエが全部そんな感じって思われるのも嫌で、テレビで面白くて美味しいところだけ使われたら「レゲエ自体が違う方向に進んでしまうんじゃないか」っていう気持ちがすごい強かった。「自分がレゲエ代表」って強く思ってたし、レゲエを知らん人に理解してもらうには、「安易にテレビとかラジオで扱うんじゃなく!」って感じてた。
●レコード会社の人たちはテレビはあまり出たくないというのは理解してくれましたか?
BOOGIE MAN:結構説得されるんやけど、俺も頑固やから「そのへんは断ってください」っていうのは言ってた。でも「これは絶対出てください」っていう番組に関しては、話し合いをした上で出てたね。あとレゲエ独特の文化の「ダブ」に関しては、普通のメジャーのアーティストやったら出されへんのやけど、事務所のスタッフも俺が説明したことに対してわかってくれる部分もあって、そこは良かったなあと思う。
●なるほど。メジャーと契約しているレゲエのアーティストはBOOGIEさん以外にいたんですか?
BOOGIE MAN:ナニワマンがSONYから出してたと思う。
●メジャーのレコード会社に所属していることでダブプレートのお金の配分も違ったりもしそうだし、いろいろ大変そうですね。その当時は普通にクラブには出演してたんですか?
BOOGIE MAN:出演もしてたし、遊びにも行ってたよ。それはいつもと変わらん動きをしてた。
●出演に関しても、メジャーの大きい会社がバックにいたら口約束だけでのブッキングでは済まない気がして。そのへんはどうだったんですか?
BOOGIE MAN:もちろんレコード会社からのイベントも出てたし、自分の周りの人らの小さいクラブのイベントも呼んでもらったら行ってた。それもレコード会社や事務所の人と話をして理解してもらってたから。箱の大きさにかかわらず、そのへんは変わらず続けられたというか。レコード会社の人はだいぶ折れてくれてたと思うけどなあ(笑)。俺も結構無茶なこと言ってたと思う(笑)。それで96年に『Leave A Message』っていうアルバムを出したのがメジャーでは最後かなあ。
●そのあとの活動はどういう風な流れになっていくんですか?
BOOGIE MAN:メジャーじゃなくなったというだけで、クラブや大きいイベントで歌わせてもらったりというのは何も変わらんかったから、本当そのまま。
ラガラボとの出会いとクルーだからこその制作スタンス
●現在のクルー「ラガラボ」のVADERさん、ARMSTRONGさんとの出会いについて教えていただけますか?
BOOGIE MAN:メジャーの契約が終わってから、メジャーほど忙しくなくなって、ジャマイカに行く機会が増えた。その間にカエルスタジオとつながるようになって、カエルスタジオ所属になった。VADERもその時そこに所属しててもともと仲はよかったんやけど、スタジオ卒業のタイミングが一緒やったから「一緒にせえへん?」と誘って始まった感じやね。ARMSTRONGはもともと俺とVADERの後輩で、ライブも一緒に歌わせたりとかしてた。ラガラボのメンバーじゃないけど、一緒によく居たし、実力もついてきたし、ラガラボに入りたいって言ってたから入ってもらった。10何年前の話やなあ。
●ラガラボで作る曲で「こういう風にしていこう」とか、「このクルーはこうあるべき」とかはありますか?
BOOGIE MAN:好きな事をやるっていう目的は一緒やね。ただ、ラガラボで曲を作る時は、3人の中の誰かが「俺はこういう曲をやりたい」っていうアイデアを出してきて、それに他のメンバーが乗っかる感じ。
●ソロの時のスタンスと違う部分はありますか?
BOOGIE MAN:それはめっちゃある。具体的には3人っていうバランスをどう取るかを考えてるね。それぞれ言いたいことも違うしね。やっぱり他人なんで、「そんなワード出してくるんや」っていうのが逆におもしろかったり、おもしろくなかったりもする。俺が言ったことに、他のメンバーが「それは違いますよ」って言ったりもするけど、それはそれで嬉しい。熱い気持ちで曲を作ってるっていうのはずっと続いてるけど、曲づくりにしてもライブにしてもバランスに関してはすごく難しいな。
●ではVADERさんとARMさんのバースを見て、BOOGIEさんが歌詞の方向性を変えるっていうことはありますか?
BOOGIE MAN:変えるっていうか、意見は言う。それで他のメンバーも言ってくるし。それのやり合いやね。俺自身はズラ(ラガラボのマネージャー)含めた3人を驚かせたくて、まずメンバーに向けて発信してるなあ。「思ってたより受けへんな」とか「ダブルミーニングにしてるねんけどなあ。気づいてや」っていうのもあるし、そういうお互いのやりとりも含めて楽しい。
●制作やリリースの発案もリーダーであるBOOGIEさん発信が多いですか?
BOOGIE MAN:大きいくくりとかキーワードは俺が出すけど、みんなで話しあって作ってるから、俺が全部決めているわけではないかな。メンバーそれぞれが案を持ち寄って作るから、曲によって中心となってる人が違う感じ。社会的なネタの次は恋愛の曲やったりで、それでバランスをとってる。
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ラガラボクルー(左からVADER、BOOGIE MAN、ARM STRONG)
昔の曲を配信する意義〜BOOGIE MANの曲=日本のファンデーション
●長年レゲエのフィールドで活躍されているBOOGIEさんですが、今の若手と昔で違うなって思うことはありますか?
BOOGIE MAN:めっちゃいっぱいあるよ。ええ意味でも悪い意味でも誰でも歌えるようになって、クラブのブースの中の見えない壁がなくなってきたね。俺が最初やってた時は盛り上げた者が勝ちっていう風潮はあったけど、空気自体はもっとピリピリしてて、喧嘩になるんちゃうかって思ったこともある。今はそれがだんだんなくなってきて、そこが悪い部分でもあり、いい部分でもあるかなという気はする。あと今の若い子は言葉の使い方や表現もうまいね。録音も昔よりは簡単にできるようになった。
●そうですね。
BOOGIE MAN:それに「レゲエ」って進化し続けてるから、今回配信する曲も細かいジャンルで分けたら「クラシック」や「ファンデーション」に分類されると思う。昔の「レゲエ」と今の「ダンスホールレゲエ」は全然違う形のものだとは思うかな。
●確かにそうかもしれないですね
BOOGIE MAN:今の若い子はCDプレイヤーすらも持っていないっていう話も聞くし、そういう子たちはファンデーションを聴く機会がないから、そう考えると今回の音源配信にはすごく意味があるという思いが大きくなってきたということはある。今回の配信曲を聴いて「昔はこうやった」ってことをわかってくれたら嬉しいね。
●ファンデーションを聴いて今の若い子にこうなってもらったらなって思うこととかはありますか?
BOOGIE MAN:レゲエ好きやったらデニス・ブラウンとかガーネット・シルクとかの昔の音源も探って聴くやろうし、それと同じ感覚で聴いてくれたら嬉しいな。もちろん当時聴いてくれてた人にも聴いて欲しいけど、それとは逆にCDプレイヤー持ってない今の若い子にディグの一つとして聞いて欲しい。そこから今のBOOGIE MANとかラガラボにつながってくれるのも嬉しいし。
●”PACHINCO MAN”の7インチレコード発売に関しては八幡さんからの発案っていう風にお聞きしたのですが、やっぱりレコードで出すっていうのは特別ですか?
BOOGIE MAN:かなり特別やなあ。俺自身がレコードマニアでもあるし、未だにレコード聴くし。もちろん配信で新しい曲も聴くけど、レコードもCDも聴くし。やっぱりアナログっていいよなって部分が自分の中である。配信はもちろん嬉しいねんけど、「物がある」っていうことの暖かさや、自分自身もデジタルじゃなくアナログやねんから、そこを大事にしてる。
●私はレコードあまり聴いたことないので、今のお話を聞いてレコードも聴いてみたいなっていう風に思いました。やっぱり聞いた感じとか違いますか?
BOOGIE MAN:違うよ。レコードって自分の耳に聴こえへん音域の低音とか高音も含まれて入ってたりするから、悪く言えば雑音みたいなものも含めてあったかい。CDとかのデジタルはいらん部分の音を取っ払って綺麗にしてるから、音が綺麗なことは綺麗やねんけど、空気感がちょっとアナログとは違うかなあ。「完璧じゃない方が美しい」っていうのがレコードの魅力なんかなあって思う。
●レゲエ自体も完璧さを求めるっていうような音楽じゃないですもんね。レゲエの特長とレコードの特長っていうのがすごく合うなって、今のお話を聞いて思いました。
BOOGIE MAN:特にレゲエはラフアンドタフだからね。ある程度ラフじゃないとおもしろくない(笑)。
●BOOGIEさんは物事や社会に対する見方がすごく鋭いですが、コロナも含めた今の社会に対してはどういう風に考えていらっしゃいますか?
BOOGIE MAN:コロナで思ったのが、「こんなに世界が繋がってるんや。」ってことやね。中国で始まって、世界中で感染してて、「ジャマイカまで行ったん?」って思ってた。そんなに世界ってつながってるんやって素直に思った。今は悪いウイルスが伝染しているけど、それが例えば楽しさとか嬉しさが同じように伝わることもできるんやん。「こんなに世界が繋がってるならいいことだってつながるはずや。」って思ったかなあ。みんなでできるだけいい方向に持って行こうやって。
●なるほどなるほど。ポジティブな方に!コロナの関係でイベントがなくなったりして、私自身はネガティブにとらえている部分が多かったのですが、「世界中が繋がっていることは確かに証明できた。」っていうことにはすごく納得しました。
BOOGIE MAN:「世界中楽しくできる可能性はあるぞ!」っていう!
●ではそれが証明できたところで、この後BOOGIEさんやラガラボでこういう風にしていきたいということがございましたら。
BOOGIE MAN:ラガラボでもメンバー個人でも動いてるので、発表できる場としてコロナが収まってからちゃんとライブしたいなっていうのがある。これだけライブができなかったらやっぱりしたい気持ちがウズウズしてるし。作品も配信かCDかアナログかはわからないけど発表したいな。
●最後にザイオンの読者にメッセージをお願いします。
BOOGIE MAN:CDプレイヤーを持ってない世代にも聴いてもらいたいし、そこからBOOGIE MAN個人とかラガラボの作品、もっと広がっていろんなジャパレゲ、ジャマイカのレゲエとかも聴いてくれるようになれば嬉しいなあ。
●私もファンデーションはもう少し勉強が必要なので、BOOGIEさんの作品を手掛かりにして、古い曲の勉強ももっとしていきます!
追記:今回このインタビュー後に発売された”PACHINCO MAN”の7インチレコードは即完・即売だったとのこと。やはり彼のジャパレゲ界における立ち位置は揺るぎないものとなっているようだ。配信楽曲はレゲエザイオンはもちろん各種ストリーミングで聴くことができるので要チェック!
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PACHINCO MAN – 7 Inch Vinyl | 247reggae