今年で60周年を迎える、 ヨーロッパ最大級のカリブ系移民のストリートフェスティバル「ノッティングヒルカーニバル」
ロンドンのノッティングヒルエリアを封鎖して繰り広げられるこのお祭りは、単なるイベントではなく、歴史と文化、そしてコミュニティの祈りが詰まった特別な空間です。
私が初めてこのカーニバルに参加したのは2006年。 きっかけは、カムデンのレコードショップで知り合ったトニーからの一言でした。 「カーニバルに出店するから、遊びがてら手伝いに来るかい?」 その誘いに、私は迷わず飛び込みました。
サウンドシステムとの出会い
その原点は、さらに1年前の2005年。

確か場所は Holloway RoadにあったクラブThe Rocketだったと思います。Shakaのダンスへ向かう途中、駅から会場に近づくにつれて、建物や地面が低く唸るように振動しているのがすでに伝わってきたのです。その瞬間、「これはただ事じゃない」と確信しました。
中に入った途端、雷に打たれたかのような凄まじい音圧が全身を貫き、心を持っていかれました。
身体の内側に直接流れ込んでくる振動、そして、目には見えないけれど、細かい音の粒子のシャワーのようなものが体に降り注ぎ、体全体に絶えず浴びているような感覚でもありました。 そんな感覚は初めてで、言葉を失い、ただただ音に包まれ深く没入していきました。

そこにはあふれかえる程の人々がいて、割合的には黒人の方のが多い印象でした。 現場の息づかいやエネルギーが空間全体に満ちあふれていました。 音、人、空気――すべてが一体となり、不思議な波動が渦を巻いてるようなエネルギーの塊のようは空間でした。 英語があまり分からないにもかかわらず、ただその場にいるだけで、不思議と彼のスピリチュアルでポジティブなメッセージが伝わってきました。
ダンスが終わると、みんなで最高だったね!Bless and Love! Rasta far i! Respect!と笑顔で声をかけあいました。 家路に辿り着くまで私の耳も体もずっと地に足がつかない状況で、ずっとふわふわ漂ったまま、その夜の記憶は曖昧で、どうやって帰ったのかすら覚えていません。
その後、BrixtonのRecreation Centerで開催されていた Aba Shanti-Iの「University of Dub」に足を運んだときも、同じような衝撃を受けました。
会場は広い体育館のような空間で、そこに3つものサウンドシステムが設置されているという、当時の私にはとても斬新な光景でした。3つのシステムは1曲から数曲をかけて順番に次のシステムへ交代で回します。この「交代で回す」スタイルは、クラッシュのような競争をするというより、ダブカルチャーの共有・セレブレーション的なバトンリレーのような物でした。 鳴り止むことのない重低音が朝まで空間全体を揺らし続け、身体は終始そのうねりの中に飲み込まれていました。
色とりどりの国旗がはためき、さまざまな国の人々が集うその場には、深い一体感と豊かなエネルギーが満ちていたのです。
確かなのは、その原体験をきっかけにロンドンのサウンドシステム文化へ深くのめり込むことになり、それが私の人生における大きな分岐点になったということです。
ヨーロッパを巡った日々

その後は毎年、観光ビザの期限内でロンドンに滞在したり近隣諸国へ出かけるスタイルに変わり、現地ではトニーの家族にお世話になりながら、手作りのタム(帽子)や着物を販売し、ヨーロッパ各地の大型フェスをTauLionやYusef(Jah Youth)と共に巡るようになりました。
ノッティングヒルカーニバルとは
ロンドン西部の住宅街を封鎖し、街全体が巨大なパーティー会場へと変わるこのカーニバル。 約30以上のサウンドシステムとパレードが並び、来場者数は約200万人とも言われています。
その起源は、1958年に起きた ノッティングヒル暴動 この時期は高い失業率と移民に対する人種差別が深刻化しており、ロンドン西部では白人暴徒によるカリブ系移民への攻撃という人種差別的な暴動も起きていました。約2週間にわたり、火炎瓶や武器を用いた住宅への破壊行為や、街を歩く黒人住民への襲撃が続き、住民側の反撃も含めて地域全体が緊迫した衝突状態にありました。
こうした深い分断の時代を経て、コミュニティの団結と再生、そして癒しと祈りを目的とした動きとしてカーニバルが始まったのです。

しかし1976年にも再び暴動が発生しました。カーニバル会場で警察が黒人の若者を強引に取り締まったことをきっかけに、怒った参加者が抵抗し、衝突へと発展したのです。
当時の時代背景をわかりやすく言うと、映画『Babylon』に描かれている1980年代のロンドンの空気感に近いものがあります。 白人と黒人との間に常に張りつめた緊張があり、ちょっとしたきっかけで衝突が起きてしまう――そんなヒリヒリとした雰囲気が社会全体に漂っていた、というイメージです。

カーニバルの起源は、 黒人差別に反対する平和のためであり、 カリブ系移民達の 白人からの抑圧への抵抗 自分達の アイデンティティへの誇り 争いをもう起こさないように、 と祈るコミュニティの癒しと祝祭
つまりこのカーニバルは、 抵抗・誇り・祈りを象徴する文化的な表現でもあるのです。
現在の姿と現実
現在ではリオのカーニバルに続き、世界最大級のフェスへと成長しました。一方華やかさと同時に課題も抱えています。 近年は、若者による 暴行事件が多発しているそう。 混雑に紛れたギャングの抗争や刺傷事件などのトラブルが絶えず被害が深刻化しており、安全面への意識も必要です。
とはいえ、これはどの国でもどのフェスでも同じこと。 危険な場所を避け、持ち物をしっかり管理する―― 基本的な対策をすれば、大人も子供も十分に楽しめるカーニバルです。
私の記憶に残るカーニバルは、桁違いのエネルギーで心を揺さぶる、圧倒的に鮮やかな記憶として残っています。

- 最寄り駅Lad grove駅は封鎖され、かなりの長距離を歩いて会場へ
- 前に進めないほどの人混み(10m進むのに30分以上かかるエリアもあった。特に駅前)
- バスも迂回運転で大渋滞
- カリブ料理の屋台と立ち込める香りあちこちで焼かれてるジャークチキンの匂い(ベジタリアンなんで匂いが強烈だった)
- リオのカーニバルさながらの迫力あるダンス
- 爆音で鳴り響く30以上あるサウンドシステム(据え置きタイプと、システムを積み込んだトラックが歩行者の横を爆音で鳴らしアピールタイプ)
- 自宅を開放してトイレ使用料を取るビジネスが大盛況
- みんな自分の国の国旗を掲げて誇らしげ
- 色鮮やかなコスチュームに身を纏った美しい女性達
トラックの側面を開けてステージ化し、ゆっくりと街を走りながらライブ演奏を行うスタイルや、名物であるスティールパンの演奏などにより、街全体が“音で動いている”ような感覚が広がっていました。


また、何よりの象徴は
何といっても やはり サウンドシステム!
* Aba Shanti-I Sound System
* Channel One Sound System
* Saxon Sound System
* King Tubby’s
* Gaz’s Rockin’ Blues


イギリスを代表する名門サウンドが一堂に集う、まさに唯一無二の空間です。
何より印象的だったのは、 人々のポジティブなエネルギー と笑顔、そして 溢れる光のような人々のまぶしい輝きでした。
まとめ

ノッティングヒルカーニバルは、単なる「夏の野外イベント」ではありません。
歴史、文化、音楽、そして人々のエネルギーが一体となって融合する、生きたカルチャーそのものです。
人の波に身を任せながら進んでいけば、きっと自分だけの体験に出会えるはず。 公式サイトにはマップもあるのであちこち周るには便利です。
イギリスの夏の終わりを告げる8月末のバンクホリデーにしか 味わえないこの音の祭典。 一度はぜひ、その“振動””Vibes”を体で感じてみてください。
私は今年現地にいるので、ストーリーや動画でリアルタイムの様子を発信する予定です。
現地で?お会いできるのを楽しみにしています。 是非Massive TonyのBoothにも立ち寄って下さいね。
One love❤️💛💚
Notting Hill Carnival
オフィシャルサイト
https://nhcarnival.org/