Text by : 八幡浩司(24x7 RECORDS)

 ジャマイカでの8年間の活動を経て日本に帰還したPANCHOはやがて自身で活動を開始していく。PANCHO主導で関西のメンバー達と「TURTLE MAN’s CLUB」を立ち上げて、ミックスCDをリリース、イヴェントを実施するなど引き続きレゲエに身を置いた活動を開始していく。


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TURTLE MAN’s CLUB ー。

PB「矛盾しているところもあると思うんです、正直。でも、僕は結局20代をジャマイカで過ごして、日本で言うところのまともな社会経験もしてなくて、人間的成長とか、経験値とか、人や物事をジャッジする能力が低かったと思うんです、現在もそうかもしれないですけど。それで就職とかもするつもりもなかったので、その当時に出来ることをガムシャラにやるしかなかったんです」。


IN THE MOODインタビューがきっかけで制作した楽曲「YOUNG SOUL」のVIDEOを公開



●違和感を抱いていたはずのレゲエから離れなかった理由はなぜですか?

PB「ジャマイカで知ったことになりますけど、ジャマイカでレゲエ・アーティストを目指す人達の理由の多くは、いや、ほとんどはお金なんです。つまり貧困からの脱却のためなんです。それだから、と言うわけではないですけど、その当時に自分が出来ることはそうしたレゲエのことしかなかったんです。8年間ジャマイカに居たことも、レゲエのサウンドやレーベルをやっていたことは事実ですし、それが自分の中にあるのも事実でしたし、それしか自分の中には無かったですし。その中で僕が出来ることはレゲエでしたし、レゲエ以上に自分の中には存在していない他のジャンルの音楽をやる考えは無かったです。あと、その当時に音楽を仕事にして食べていくことは決めていたのですけど、何か他の仕事をやりながら音楽の仕事をすることには違和感も持っていましたので、レゲエでやっていくことにしたんです」。


●それは食べていくために必死だったからということですか?

PB「半分はそうだったかもしれないです。『稼ぎに行かな』はありました。結局は変わらず『借り物』を使っていると言われたらそうかもしれないです。ただ、そうやって活動する中でお客さんが喜んでくれるものを提供する、その喜びに対しての対価を頂くことで自分の喜びも得られることを知りましたし、その喜びを届けていくことをしていこうとも思いました。ただ、その中でずっと『日本人に向けた日本人による日本の~』のを解消できないままのもどかしさは感じていましたし、それは現在でも感じています。あと、そうやって喜んでもらえているのが自分が制作したミックスCDや開催したイヴェントの内容そのものに対してではなくて、自分のプロップスに対してであること、『PANCHOはジャマイカに居た人だから』『ジャマイカでGACHAPANで成功した人だから』に対してであったりするのは自分が一番求めていない部分でもあったので、それは有難いプロップスでもあるんですけど、僕が一番嫌っているプロップスでもあったりしました。自分は『ジャマイカに居た』から認められることに対するジレンマと言うか・・、でも、それなのに『ついこないだまでジャマイカに居たのに・・』と日本のイヴェントの現場に居る自分にも『俺何やってんだろう』と思ってしまうようなこともあったりもしましたね」。


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PANCHO a.k.a. BIG EAR P ー。

●アーティスト活動を始めることにした理由を教えてください。

PB「5年ぐらいそうした裏方をやっていたんですけど、やはり楽曲を作ってきた経験があるじゃないですか? それに対する自信みたいなのもあるんですけど、そうした中で日本の曲を聴いていて『もっとこういう曲を作ろうよ』『こういう曲があってもいいじゃないか』『もっとここまで暗いところまでいってもいいじゃないか』って思うことがあって、日本に帰国してからも実際にアーティストに依頼して曲を制作したりもしていたんですけど、なんか『分からん』っとなったりしてたんです。でも、それはアーティストが悪いのではなくて、こちらがどう彼らに説明して良いか分かっていなかったり、一緒に形にする力がなかったのもありました。ただ、そのまま『分からないまま諦めてやらないのは違うな』と思って、まずは楽曲を作ってみようと思ったんです。そうですね、アーティストになりたいではなくて、プロデューサー目線でまずは楽曲を作ってみよう、と。ただ、それならこれまで自分もそうやって楽曲を作ってきてますし、作りたい気持ちから引くこともできないですし、自分へのケジメじゃないですけど、もう自分で歌ってみることにしたんです。高校の文化祭でその日用にスカ・バンドを結成してヴォーカルをやったことはありますけど、もともと歌うのも、カラオケとかで人前で歌うのも苦手でしたけど、あくまでも楽曲を作るために自分で歌ってみるという感覚で、なにか腹括って『アーティストとして一からやらせてもらいます!!』みたいなわけではなかったです」。


●楽曲の制作は全て自分で行なっているんですか?

PB「他の人の曲には色々と意見出来ても、いざ自分の曲となるとどうしたらいいか全くわからなくて、もう真っ白になってしまって、最初の曲もGACHAとジャマイカ人と作った曲をベースにしたりしました。もうそこから一歩ずつでいいと思いながら続けています。現在は自分が求めているイメージや音色を伝えてリディムを作ってもらったりしていることが多いです。でも、僕は結構歌詞先行と言うか、歌詞を先に作ってからリディムを合わせていく感じですね。リディムに合わせて歌詞を書いても、『この歌詞なら前に作ったリディムの方が合うな』とかもあったりますし。一日で出来る曲もあれば何年も出来てない曲、コネクリ回してる曲や爆睡し続けているような曲もありますね」。


●歌詞で言えば、楽曲ごとに異なりますけど、中にはメッセージが強いもの、ストレートだったりかなり鋭角な内容もあります。

PB「これもジャマイカのレゲエがベースになっている話なんですけど、ジャマイカのレゲエには貧困にいる人達に向けた歌詞が多いじゃないですか? 日本に帰国したらジャマイカほどの貧困は少ないのかもしれないですけど、ジャマイカとは次元が違うぐらいのヤバさもあって、そうした人達に向けた歌詞にすることは意識していたりもします。その人達の気持ちを精神的にフォローすると言うか、その気持ちを代弁できたら、そうした人達を孤独にしないような曲にできたら、とは思ってます。実際に『誰かのため』とか、そうした事も言ってますが、その中に自分の個人的な気持ちも吐き出させてもらっている感じだとも思います。そうした人達の存在を通じて自分も存在できると言うか、導楽君とも話していたんですけど、『音楽によって救われる人もいるかもしれないけど、音楽を作ることで救われる人もいるかもしれない、俺達はそっちだよな」って言っていたんですけど、そういう感じなんやと思います。僕は作品を通じて人々と対話していかないと生きていけないタイプなので、そうやって人々が求めるものを作って、それを愛を持って届けることによって、その人達からその愛を返してもらうことで生きられる、だからそうした楽曲を制作してヒットさせたいと思うんです」。


大胆にもBOB MARLEY/REDEMPTION SONGを日本語COVERした楽曲「当たり前の歌」


●楽曲重視とは言え、最近はライヴ活動も増えています。

PB「ONEDERっているじゃないですか? 僕は結構前から彼を見てたんですけど、彼がライヴを重ねることで良くなっている、それはアーティストと言うよりも人間として大きくなっている感じがしていて、そうしたライヴでの経験やお客さんから受けた影響もデカいと思ったんですよね。自分はまだまだですけど、曲によっての反応も様々ですけど、届いてることが伝わる曲もあったりしていて、それをもっと増やしたいとは思っています。あくまでも楽曲重視、楽曲ありき、なのは変わらないですけど、自分の曲を求めている人のところにそれを歌い届けて行けるようになりたいとは思ってます。自分は現場至上主義でも、現場で鍛えていくタイプではなくて、あくまでも自分の楽曲を人々に届けて、それを聴きたいと思う人を増やせるようにヒットさせて、その人達のために歌いに行きたい、さっきも言いましたけど、楽曲を通じて人と対話して、その楽曲への愛情のお互いに受け渡ししたい、より多くの人と、という感じですね」。


●最新シングル「似たもの同士」はこれまでの楽曲以上に多くの人に届いてるように思っています。ただ、配信サイトではこの曲のジャンルは「レゲエ」ではなくて「歌謡曲」になっています。それはどうしてですか?

PB「色々な音楽が好きですし、それに影響もされますけど、自分がレゲエで楽曲を作るのは前にも話したのと一緒ですけど、それしか自分の中には無いから、それだけなんです。『似たもの同士』は二、三年ぐらい前からRAM HEADと一緒に作っていた曲で、お互いに『もうそろそろ完成させないと』と作り上げたんですけど、完成したらレゲエの曲ではなかったんです。ジャマイカのアーティストでもレゲエじゃない曲も『レゲエ』としてリリースしていますけど、自分は彼らみたいに自分のことを『レゲエ・アーティスト』とは思え切れてはいないんです。現在の自分にはレゲエしか自分には無いのは確かですけど、それに自分を縛りたくはないんです。結局専門学校を出る頃と一緒でずっと自由でいたいんですよね、それは変わらないんです。自分の中では『似たもの同士』はレゲエではなくて歌謡曲だと思ったんです。勿論『歌謡曲』としてリリースすることで今までに自分を知らない人にも届く可能性もあるとは思いますし、それはそれで嬉しいことですけど、ただ楽曲がレゲエではなくて歌謡曲だったからジャンルも『歌謡曲』としてリリースしただけです。それだけです、そんな変な狙いとかもないです。まぁ、もともと歌謡曲も好きでしたし。そうですね、そんな日本人による日本人のための日本の歌になっているのかもしれないですね。まだまだ過程であって、ここからどうなっていくのかはわからないですけど、ただ現在はレゲエとジャマイカが教えてくれたように誇りを持って自由に進んでいきたいと思っています」。


●最後の質問です。「BIG EAR P」・・?

PB「最初は覆面アーティストでいいかなって思ったんですよ。ジャマイカのアーティストやプロデューサーでも『覆面でやりたい』って言う人はいましたけど、誰もそうはやってなかったので。でも、やっぱり名前があった方がいいかな、PANCHOじゃない方がええんかな、って。それで自分で鏡を見て『耳がデカいな』って(笑)。いや、なんやったら自分でもそんなにデカいか?って自分でも思ったりもしてるんですけど(笑)。でも、それも良いかなって、そうやって大してデカないものをデカいと言う感じも、なんか『誇りを持てよ』みたいな感じもして(笑)」


「前編 : ROCKERS ISLAND ~ JAMAICA ~ GACHAPAN」


本インタビューに合わせ無料配信する事になった楽曲「当たり前の歌&YOUNG SOUL」
のダウンロードは下記より

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【TURTLE MAN’s CLUB】FREE DOWNLOAD「当たり前の歌&YOUNG SOUL」mp3






PANCHO a.k.a. BIG EAR P

DISCOGRAPHY & INFORMATION


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TURTLE MAN's CLUB Presents「NIPPON SPLASH」電子チケット


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TODAY
SINGLE - 2019


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BEP
EP - 2019


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嗚呼、俺らは釣りに行く
SINGLE - 2022


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STAY STRONG Feat. MARTIN KINOO
SINGLE - 2023


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あたらしい一日
SINGLE - 2023


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extend
SINGLE - 2023


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似たもの同士
SINGLE - 2024


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