Text & Interview By Takashi Watanabe
大阪のレゲエシーンで異彩を放つRED CARPET。自身のレーベル「AKAHIGE RECORDS」を率い、独自のスタイルを貫きながら日本語でメッセージを届ける彼は、長いキャリアの中で、家族や仲間、そして自分と向き合い続けてきた。今回のインタビューでは、レゲエとの出会いやアーティストとしての歩み、そして彼の最新アルバム『生道愛楽』に込められた想いについて話を聞いた。
RED CARPETのレゲエとの出会い
●レゲエ、そして音楽に触れるきっかけについて教えていただけますか?RED CARPET:中学の頃ですね。親戚のお姉ちゃんが天保山でサーフショップをやっていて、そこに入り浸るようになったんです。店内ではShineheadやSnowが流れていて、スケーターやサーファーの兄ちゃんたちがよくレゲエを聴いていました。
その後、「いぶし銀」「SKY IS THE LIMIT」といったミックステープを聴くようになりました。特に、RYOさんの「SUNNY DAY WALK」を夜中にスペースシャワーTVで見た時は心にガツンときて、「もっとレゲエを聴きたい」という気持ちが強まりました。
アーティストへの転機—仲間との別れから始まった新たな挑戦
●アーティストになるきっかけは何だったんでしょうか?
RED CARPET:もともとレゲエは聴いていたんですが、実際に自分がアーティストとして活動を始めたのは28歳のときですね。仲の良い仲間が三人いて、そのうちの二人が塀の中に入ってしまい、自分ひとりが取り残されたような感覚になったんです。ぽっかりと穴が空いた感じで、「じゃあもう好きなことをやってみようか」と思ったんです。
地元にはレゲエをやっている人なんて一人もいなかったので、すごく孤立した環境でのスタートでした。
アーティストを目指し始めた頃は、まだレゲエの世界を深く知らなかったんです。例えば、ベイサイドジェニーでMIGHTY CROWNのイベントを見に行った時、ケイプルトンが来ていたんですが、当時の僕は彼のことを全然知らなくて。トイレで大人のタバコを吸っていると、ケイプルトンが入ってきて「お〜お前ら吸っとるやんけ」と話しかけてきたんですよ。それで「これやるわ〜」って偉そうに渡して「GOOD GOOD」とか言ってたんです。あとでパッと見たらそのおっさんが出てきたんすよ。それがケイプルトンやったんです。「なんや、あのおっさんやん!」って(笑)。そんな体験がありつつ、現場に足を運ぶ機会が増えていきました。
現場での体験—レゲエのフランクさと助け合い
●レゲエの現場でのエピソードについてもお聞かせいただけますか?RED CARPET:自分が育った場所は、やんちゃな人も多くて、先輩後輩の縦の関係がすごく厳しい世界だったんです。だから、レゲエの現場に初めて足を踏み入れたときはカルチャーショックでした。例えば、「ダイナマイトチョメチョメ」のイベントでスピーカー運びを手伝ったとき、先輩も後輩もみんなフランクに「お前どうや?」って話しかけてくれて、垣根がないんですよね。マイクを握ると、みんなが同じステージで対等になる感じがすごく新鮮で、「こんな世界があるのか」と思いました。そこから、少しずつレゲエの世界に引き込まれていきましたね。
仲間との支えと初リリース
●今いる仲間たちとどのように繋がり、支え合っていったのか教えてください。
RED CARPET:最初に良くしてくれたのがカジノ891のカツ君 (PAM PAM)で、自然と一緒に行動するようになりました。名前も彼が「RED CARPET」とつけてくれて、曲作りや現場での立ち回り方など、色々と教えてもらいました。彼との出会いが、自分の活動を形にしていく上で大きなきっかけになったと思います。
その後、RUDEBWOY FUNKのたけし君と出会い、『I'M SORRY』をたけし君のレーベルからリリースしてもらいました。寿やSTEREONと同じオケを使った曲で、リリースをきっかけに、より本格的にレゲエの活動にのめり込むようになりました。
さらに、オタシ(BASS MASTER)やKOHEY(LIFESTYLE)、MOTOMANといった仲間とも自然とつながり、一緒に活動するようになりました。彼らとは家族ぐるみの付き合いのように支え合っていて、音楽でも人生でも、互いに刺激を与え合いながらやってこれたと思います。
家族との日々を経て、音楽への再スタート
●キャリアの中で、一時的に音楽から離れた時期もあったと伺いましたが、それはどのような経緯だったのでしょうか?
RED CARPET:アーティストとして活動していたんですが、離婚後、娘と一緒に住むようになったんです。それに加えてプライベートでトラブルがあったり、形勢を立て直す必要がありました。一旦は家族に集中することを選び、音楽から少し距離を置いていました。
その後、タイで事業を始める機会が訪れ、月に一度飛行機で往復する生活を送りながら、移動中にリリックを書くようになったんです。そして最近、娘たちの独立や孫の誕生をきっかけに肩の荷が下り、自然と音楽制作への意欲が湧いてきました。
アルバム『生道愛楽』の制作秘話と、印象深い曲たち
●今回のアルバム『生道愛楽』には、どのような思いが込められているのでしょうか?RED CARPET:最初は「気持ちの気」で「きどうあいらく」にしようと思ってたんですが、途中で「いや、これは『生きる』やな」と感じて「生」にしました。人生の道の中で、愛があれば心が楽になる—そんな思いを込めました。自分の音楽を通じて、仲間やリスナーに「愛」を届けたいという気持ちもあります。
RED CARPET:「クレヨン」ですね。LIFESTYLEのTAIKIと一緒に作った曲で、以前には「黄金のしょんべん」って曲も一緒に手掛けていたんです。最初は、TOMMY LEEの「Redemption Song」にインスパイアされたオケをもらった時、「なんかピンとこないな」って思ってたんですよ。でも、「HINOMARU REVIVAL」もやっている奥田君がギターを入れてる姿を見た時に「すげー!」ってなって、そこで「少し大人らしいことを歌ってみようかな」と思うようになりました(笑)。
「クレヨン」にはMINJA MANも参加してくれました。彼とは昔からの付き合いで、一緒にリリックやフローを練って、何度も試行錯誤しながら完成させたんです。MINJA MANが本気で一生懸命になってアドバイスをくれる姿に心を打たれて、結局3回くらい本録りし直しましたね。この曲には、そんな彼との思い出も詰まってます。
あと、「ファミリー」も大切な曲です。これは最初に書いた曲で、ずっとフローを微調整しながら歌い続けてきました。そして、「LONELY HUSLER」は自分の代表曲「BADNESS」の続編です。自分に向けた応援歌みたいなもので、かつて悪さしていた仲間たちにも聴いてほしい曲ですね。
「自分のスタイルと仲間の支え」—音楽に込めた想いと認め合う関係
●RED CARPETさんが表現する音楽には独自のスタイルや仲間と支え合う姿勢が感じられますが、そのあたりについてお聞かせいただけますか?RED CARPET:ダンスホールには、いわゆる“ビーフ”や“KILL TUNE”みたいな、相手を挑発する攻撃的なスタイルがあって、それがパワフルな魅力でもあるんですけど、僕がやりたいのはそこじゃないんです。僕はもっと、愛とか自分なりのスタイルを表現していきたい。年齢も重ねて、自然とそう思うようになりましたね。
それぞれが自分のスタイルやキャラクターを持っていて、同じことをしても意味がない。仲間たちとはお互いの音楽や生き方を認め合い、助け合っているんです。自分の音楽を通して、あいつらにも俺のスタイルを再認識してほしかったんです。
たとえば、音楽のことでわからないことがあればオタシ(BASS MASTER)に聞くし、人生の相談はみんなが僕のとこに来てくれる(笑)。そんなふうに、音楽を通じてお互いを認め合い、支え合える関係が僕にとっても大切です。
愛と音楽の先にあるもの—これからのビジョン
RED CARPET:これからも自分の音楽を通じて、愛を届けていきたいですね。自分が主役じゃなく、聴いてくれるリスナーがそれぞれのシーンに当てはめて、自分のこととして感じてもらえるような音楽を作り続けたいと思っています。本当にありがとうございました。RED CARPETさんの音楽が、これからも多くの人に愛と力を届けることを願っています。