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2019.4.5

【保存版】平成最後の大総括!日本語レゲエの30年史-Episode1:89年~90年代-

【保存版】平成最後の大総括!日本語レゲエの30年史-Episode1:89年~90年代

【保存版】平成最後の大総括!日本語レゲエの30年史-Episode1:89年~90年代

89年 〜始まり〜

日本のレゲエはどこから始まったのだろう?

梅木マリの『マイボーイ・ロリポップ』であろうか? 中川ゆきの『東京スカ娘』?

それとも坂本龍一がプロデュースし、ジャマイカレコーディングも敢行された『トロピカル・ラブ』だろうか??

はたまた、『サンスプラッシュ』出演も果たした若井ぼん師匠の『商売繁盛じゃ笹持ってレゲエ』??

 

……挙げていけば切りがないが、“ダンスホール”で。そして、“今のシーンにダイレクトに繋がる”という視点で考えるとRANKIN TAXIの処女作『火事だぁ』を“始まり”とすることに異論を挟む余地はないかと思う。

 

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当時のランキンさんは“某ゼネコンを脱サラした異色の社会派ラッパー!”として、既に東京のサブカル界隈では知られた存在。サラリーマン時代の83年に二週間の有給を取って初めて行ったジャマイカでダンスホールカルチャーの洗礼を浴び、暗中模索しながらレゲエの道へ。レゲエDeeJayとしては87年、88年、89年と、三年連続でジャマイカの名門フェス『SUNSPLASH』に出演し、自身が率いる日本最古のサウンド・クルー『TAXI Hi-Fi』は、自前のサウンドシステムと共にこの時点で稼働済み……と、まさに「日本」と「ジャマイカ」を繋ぐ“親善大使”であった。

 

 

80年代の伝説の深夜番組『FM-TV』で『AGONY』のリディムで歌うランキンさん。

 

当時の『レゲエマガジン』に掲載された「日本レゲエDJ名鑑」には、そのRANKIN TAXI含むまだ20名にも満たない全国のMIC持ちのバイオが載っているのみ。

文字通り、日本にレゲエの“レ”の字も、またヒップホップの“ヒ”の字もなかった時代に、ALL日本語リリックで、一枚のダンスホールレゲエ・アルバムをリリースしている功績はあまりにも大きい。

 

当コラムでは『火事だぁ』がリリースされた1989年、平成元年を“日本語レゲエ元年”とし、平成が終わる2019年に、30年に及ぶ日本人による母国語のレゲエ・ミュージックの歴史を駆け足で辿っていこうと思う。

饒舌に過ぎるだろうが涼としてもらえれば幸いだ。

 

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89年当時のTAXI Hi-Fiのイベントフライヤー

 

 90年代

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1990年『MAXI PRIEST / CLOSE TO YOU』の全米チャート1位獲得から幕を開けた90年代、直後にボブ・マーリー以来となる世界的な第二次レゲエブームが巻き起こり、日本でも『JAPAN SPLASH』などの大型フェスに数万人が集うようになる。

「日本人による日本語のレゲエ」はまだ生まれたばかり。

当時は、「日本語でレゲエが歌えんのか?」「そもそも日本人にレゲエがやれんのかよ?」というような論議もまだ盛んになされてるような時代であり、前述の『JAPAN SPLASH』も出演者の90%以上が外国人レゲエアーティストで占められている。

 

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92年にリリースされた日本初となるワンウェイコンピ(※)『HARD MAN FI DEAD』を聴くとよく分かるのだが、日本語で歌うアーティストも居れば、パトワ(ジャマイカン・イングリッシュ)で歌うアーティストも居て、まさにまっぷたつ。当時のシーンを取り巻く空気感が伝わって来ると思う。

「そーいう時代」だったのだ。

 

※収録されてる楽曲がすべて同じバック・トラックを使用しているレゲエミュージック特有のアルバム形態。ちなみに史上最も売れたワンウェイものは『Diwali』。

 

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90年代初頭を象徴するようなアーティストといえば、まずは何と言っても「NAHKI」であろう。

80年代後半より長期の海外武者修業を経験し、ジャマイカでは年末恒例のBIGフェス『STING』にも出演。もちろん歌うリリックはすべてパトワ! JAPAN SPLASHを運営するタキオンがマネージメントを務めていたこともあり、「日本人としてゆいいつジャパスプに出れる逆輸入アーティスト!」として鳴り物入りで注目を集める(※本当はナーキさん以外にも出演してた日本人はいるのですが、まぁ所属アーティストのナーキさんが一番出演回数多かったので)。

 

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この頃、地下シーンではラッパーもレゲエDeeJayも入り交じってのMCコンテストが盛んに開催され、後年に繋がるFOUNDATION(土壌)が形成される。また、東京のV.I.Pレーベルからは良質な日本人アーティストの7インチレコードがコンスタントにリリースされ、その中からは『TWIGY / 夜行列車』のような、日本語ラップのCLASSICとして語り継がれるような作品も生まれている(※『夜行列車』はV.I.P BANDが制作したレゲエのリディムに乗せた曲。同オケでワンウェイも存在する)。まだまだ全体数が少なかったこの時代、REGGAEもHIP HOPも渾然一体となり、文字通り「共闘」していたのだ。

 

 

94年には『BOOGIE MAN / パチンコマン』がHIT。同曲はオリコンチャート入りも果たし、ブギーマンは『HEY! HEY! HEY!』に出演してダウンタウンとも共演。一躍時代の寵児に(※ちなみに当時ブギーさんは『爆走兄弟レッツ&ゴー!』のEDも歌っております)。

 

しかし、『パチンコマン』は普段の現場さながらのユーモラスなリリックであったが故に、中には「日本人のレゲエってお笑いでしょ?」的な、色物目線で見るリスナーも少なくなかった。奇しくも翌95年にはHIP HOPシーンから『DA.YO.NE.』のHITも生まれ、こちらはオリコン最高7位。同年に紅白出場も果たしていたためバッシングも『パチンコマン』の比ではなく、「日本人が日本語でやるラップやレゲエ=色物」という世間の偏見に、ラガもヘッズも当分苦しめられることになる……。

 

そうこうしているうちに爆発的なレゲエブームは95年辺りでピークを迎え、以後下降線をたどる。雨後のタケノコのように都内にオープンしていたレゲエ系クラブも次々に閉店し、蜘蛛の子を散らすように週末のダンスホールからは人が居なくなっていった。

 

「レゲエバブル」の崩壊である。

 

冒頭に記した『日本レゲエDJ名鑑』にも名を連ねている、日本のダンスホール第一世代のアーティスト、CHAPPIE(現CHAPPA RANKS)は、当時を振り返って後年自身のブログにこんな記述を残している。

 

ブームが去ったあとは、嵐が去ったあとのように悲惨で、人々は手の平を返したように冷たくなっていった。

 

数年前に、有ること無いことを言いながら、ニコニコの笑顔で近づいて来た、あの人達は一体、何だったんだろう?

 

俺は、この時のことを生涯忘れることはないだろう。

 

CHAPPA RANKS BLOG:自分 HISTORY 第29話「ブームの終盤」より抜粋

 

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96年、レゲエ / ヒップホップ系の老舗フリーペーパー『Riddim』誌は“日本の年にしたい!”のスローガンを掲げ、日本人レゲエアーティストの一大特集を敢行。ブーム終焉後の新たなシーン形成のための舵を切る。

あのMIGHTY CROWN主催の『横浜レゲエ祭』も、この頃数百人規模のクラブからスタートしている。

 

この頃、海の向こうジャマイカでは既にレーベル『JAP jam』が活動を開始していた。

筆者は何と言っても同レーベルの代表曲であり、90年代中盤を代表する日本語レゲエ曲である『三木道三 / JAPAN一番』が忘れられない。

 

JAPAN一番 めちゃええ国やん

どの国もうちの国にゃかなわん

JAPAN一番 めちゃええ国やん

俺はこの国が好きでたまらん

 

外国尊敬しすぎたらあかん

押し付けられるな価値観

日本はかっこええやん

ここは俺らの国 JAPAN

 

21世紀の今、改めて聴くと「日本好きすぎやろ!」なリリックに思わず笑ってしまうが(笑)、同時に気持ちも痛いほど分かる。

「JAPAN」と「JAMAICA」。

同じアルファベット2文字から始まる国から輸入した文化を、日本人としてどう咀嚼(そしゃく)していくのか? 日本人としてここ日本で日本語のレゲエをどう根付かせていくのか?

先駆者たちは皆、葛藤していたのだ。

 

そして「ブーム」が過ぎたからと言って演者も手をこまねいていた訳ではなかった。

96年には伝説の『さんピンCAMP』にV.I.P CREWの看板DJ、BOY-KENが参戦。

野音を埋め尽くすヘッズ達の前で、唯一のレゲエアクトとして堂々としたパフォーマンスを見せつける。

 

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日本レゲエの黎明期より活動するアーティスト「BOY-KEN」は、もともとHIP HOPのオールドスクーラーDJ DOC HOLIDAY(現・須永辰緒)の元でラッパーとしてそのキャリアをスタートさせた人物。活動を続ける中で“レゲエ”に開眼するが、HIP HOPシーンとも変わらず深いLINKを持ち続け、両シーンの橋渡し的な存在としても大きな存在となっていた。

 

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98年にはV.I.Pクルーの5周年イベントがクラブチッタで開催され、当時の日本語ラップ、日本語レゲエのオールスターメンバーとでも言うべき面子が集結。

そして翌99年にはあの『DANCEHALL CHECKER』がリリースされ、V.I.Pクルーは日本のレゲエ、ヒップホップ、両方のシーンで永遠に「伝説」として語り継がれることとなる……。

 

90年代後半、レゲエは「冬の時代」に突入していたが、この時期のV.I.Pクルー、そしてBOY-KENのクロスオーバーな活動で「レゲエ」という音楽カルチャーに触れた人はとても多く、筆者もその一人である。

 

youtu.be

 

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そして90年代後半と言えば『TOKIWA』の存在を外す訳にはいかない。

 

同時代の日本語ラップに強い影響を受けた堅牢な押韻主義。また、関西の前世代とは一線を画す「シュッ!」としたたたずまいは、その後の日本語レゲエのスタンダードとなるものだった。

 

NG HEAD、PUSHIM、RYO the SKYWALKER、JUMBO MAATCH、TAKAFIN、BOXER KID……

その存在が奇跡的すぎて残念ながら短命に終わったが、トキワの遺志は「謎のミックス集団」として同クルーから派生したMIGHTY JAM ROCKがしっかりと受け継ぎ、毎夏恒例の『HIGHEST MOUNTAIN』は、東の『横浜レゲエ祭』と並び日本を代表するレゲエフェスとして今も悠々とそびえ立っている。

 

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第一回目の『HIGHEST MOUNTAIN』のフライヤー

 

 

 

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90年代後半は、各地で大小さまざまなSOUND CLASHが行われていた時勢でもある。

実質的にMIGHTY CROWNが日本で参戦した“最後”のクラッシュとなった『頂点』などは、YouTubeに上がってる当時の動画をご覧になった方も多いだろう。

 

レゲエには“DUB”という、サウンドがアーティストに依頼して特注の曲を作る文化が存在するが、クラッシュの際は相手サウンドを攻撃する直接的な武器となるため、当日用の“仕込み”を含め、いつにも増してDUB録りが活発化する。この、90年代後半のサウンドクラッシュシーンの活況によって日本のレゲエDeeJayのスキルが飛躍的に向上したことは言うまでもない。

 

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その「恩恵」を最も受けたアーティストの一人が“濱の兄貴”ことNANJA MANである。

関西シーンでは語り継がれる伝説なのだが、「NANJA MANは90年代後半に大阪を訪れた際、DUBで稼ぎまくってその金でバイク買ってそれに乗って横浜まで帰った!!」というものがある。

 

後年、ぼくは本人に直接そのことを尋ねてみたことがある。「あの話はマジなんですか?」と……。NANJA MANはあの笑顔でことも無げに言った。

 

「あー、『乗って帰った』は話がでかなっただけなんやけどな。DUB録りでけっこうなお金をもらったのは本当で、『こんなん普通に持ってたら絶対アホなことに使ってまう!』と思って、それでこっち(神奈川)戻った時にそのお金でバイク買うたんよ」

 

まさに「STREET DREAMS」というか何というか……すげぇ話である!!

 

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そして90年代後半、日本で起こっていたクラッシュ・シーンの盛り上がりは、『JUDGEMENT』と『MIGHTY CROWN』という日本の2サウンドが99年にUK、NYで行われた世界戦でそれぞれ世界タイトル奪取!!という誰もが予想だにしていなかった形で身を結ぶ。

 

まさに世界のレゲエ史が塗り替えられた瞬間であり、JUDGEMENT(TUCKER)とMIGHTY CROWNはその後の日本語レゲエにも計り知れない影響を及ぼしていくこととなるのだった!!!

 

 

 

<関連記事-【保存版】平成最後の大総括!日本語レゲエの30年史->

>>>Episode1:89年~90年代

>>>Episode2:2000年代

>>>Episode3:2010年代~あとがき




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