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2019.12.12

今さら聞けない!BUJU BANTONってどんな人?

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2018年12月、永らく獄に繋がれていた一人の男が「8年6ヶ月」という月日を経てふたたび自身の故郷であるジャマイカの地を踏んだ。

彼の名はBUJU BANTON。レゲエ界のリヴィング・レジェンド(生きる伝説)と称される、偉大なるアーティストである。

10年近いブランクがあってのシーンへのカムバックであったが、カリビアン・コミュニティからの歓迎っぷりは凄まじいもので、ネルソン・マンデラの自伝と同じタイトルを冠した凱旋コンサート『LONG WALK TO FREEDOM(自由への長い道)』は、キングストンの国立競技場で開催され、数万人の観客動員数を記録(!!)。

f:id:RZ_TEST:20191125102047j:plain凱旋コンサートで熱唱するBUJU BANTON。奥はBERES HAMMOND(via billboard.com

また、カリブ系でバルバドス出身である世界の歌姫RIHANNAもブジュの帰還に熱烈に反応した一人で、自身のインスタグラムには彼と寄り添い手を繋ぐ写真が投稿されている。

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🇯🇲 🇧🇧. @bujuofficial

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そして、事態はこれだけに留まらず、夏にはあの“Supreme”から彼のフォトTが発売。

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同ブランドは定期的にレゲエカルチャーをモチーフにしたアイテムをリリースすることで知られているが、ブジュのTシャツは中でもトップクラスの注目を浴び、世界規模のBUZZを巻き起こした。まさに彼の影響力の何たるかを端的に示すようなエピソードである。

f:id:RZ_TEST:20191125031120j:plainレゲエ好きで知られる世界的アーティスト、DRAKEもしっかりブジュTを着用(※隣は女性DeeJayのSHENSEEA)。

なお、この原稿を書いている時点で入ってきた最新情報によると、前述のリアーナの口添えにより、そのリアーナも所属するJAY-Zのレーベル・ROC NATIONと正式にサインしたことがアナウンスされており、今後世界マーケットへ向けてどのようにアプローチしていくかに耳目が集まる!!

10年近い空白期間がありながらも、これほどまでにシーンで大きな存在感を発揮する「BUJU BANTON」とは、果たしていかなるアーティストなのであろうか!?

今日は彼の軌跡を追ってみたい。

90年代の「ダンスホールの王子様」

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ブジュ・バンタンこと本名マーク・アンソニー・マイリーは、1973年7月15日、キングストンにて生を受ける。DJネームは敬愛するBURRO BANTONから。

12歳という年齢で、地元の小さなサウンドシステムでMICを握り始めたブジュであったが(ジャマイカでは伝統的にチャイルド・スターが活躍する土壌が存在する)、天賦の才能を持つ彼が“ダンスホールのプリンス”となるまでにさほど時間はかからなかった。

『STAMINA DADDY』『BATTY RIDER』『DICKIE』『BIG IT UP』『BUJU MOVIN'』『BONAFIDE LOVE』……そして、レゲエダンサーでこの曲で踊れない人など存在しないであろう『BOGLE』。

今でも“ゲンバ”でかかるこれらのCLASSICは、みな坊主頭のティーンエイジャーだった頃のブジュが放ったものである。

何せ街を歩けば皆が振り返るような紅顔の美少年、でありながらMICを握ればあの力強く野太いダミ声である。

島中のGYALがブジュに夢中になったことは言うまでもなく、伝説のデザイナーBIGGYが作る「これぞ90sダンスホール!」な、馬鹿でかくてキラキラした衣装を身にまとい(ちなみにBIGGYはMAJOR LAZER『WATCH OUT FOR THIS』のMVのファッションの元ネタになった人)、ステージ中をところ狭しと飛び回るブジュはまさに“王子様”そのものであった。

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※92年にはジャパンスプラッシュで初来日を果たす。

この頃のブジュの人気っぷりを示すエピソードにこんなものがある。

LOVE MI BROWNING』という曲で、“肌の色が薄い女の子が大好き!”と歌ったところ女性ファンから猛反発を買い、人気者だったのにバッシングの嵐に。

すぐさま『LOVE BLACK WOMAN』というアンサー・ソングを出し、釈明した……という逸話は、90sダンスホールが好きな人なら一度は聞いたことがあるだろう。

この辺、日本人には今イチ分かりにくいところだと思うのだが、実は黒人の伝統的な美意識で「肌の色が薄い方が美しい」というのがあり(※有名な話でデスチャにはビヨンセより肌の色が薄い女の子は入れなかった、という都市伝説があるぐらい)、ブジュのリリックも言わば「巨乳な女の子が大好き♪」ぐらいの無邪気なものだったのだ。

それがこんな大騒ぎになるとは……この頃ブジュは18歳。この時ばかりは彼も「人気者になるのも楽じゃねーなぁ!」と思ったことだろう。今となっては「若気の至り」だった、というところだろうか。

しかし、今思い返せば彼の“Not An Easy Road(楽じゃない道)”はこの時既に始まっていたのかも知れない……。

ブンバイバイ騒動

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老舗音楽誌『ミュージック・マガジン』の名物コーナー『クロス・レヴュー』にも登場。


93年、ブジュが米マーキュリーよりメジャーデビューを果たした際に、その「事件」は起こった。

そう、歴史に名高い彼の楽曲『BOOM BYE BYE』を巡っての一連の騒動である!!

TVでもよく使われた、UMBの名勝負「DOTAMA vs R指定戦」でR指定にサンプリングされたフレーズ、といえば「ああアレか」となる人もとても多いだろう。

“BOOM BYE BYE INNA BATTY BOY HEAD(お釜野郎の脳天めがけてぶっ放せ!!)”

と歌われた同曲は、当時“性的マイノリティを侮蔑している!!”と、欧米の同性愛者団体から大変な非難を浴びた。

…だが、ブジュ本人は“アンチ・ゲイはカリブの伝統だ”と突っぱね、謝罪は断固拒否。

どうしてブジュがこんなに頑なになってしまったかのは定かではない。

本人も言うようにジャマイカ人の伝統的な価値観に基づいてのことだったのかも知れないし(※ジャマイカには旧約聖書の記述などに基づき同性愛を嫌悪する考えが古くからある)、これこそ文字通りの「若気の至り」だったのかも知れない。

しかし、結果としてブジュが取った行動はこの時ジャマイカ国内で大きな賞賛を浴び、政治家までもが彼を支持した。

それが現在に至るまで彼のキャリアを妨げる“障壁”となろうとは、この時まだ誰も知る由もない。

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この頃、同様の問題に直面したアーティストにSHABBA RANKSがいる。

ご存知のように彼はダンスホール・アーティストとして初のグラミー賞受賞者であるが、92年の12月にイギリスのTV番組『ワールド』に出演した際、強いアンチ・ゲイの姿勢を示し、大問題に発展する。

直後に謝罪するのだが、これが元となり本国ジャマイカでは彼に対するバッシングが起こり……それが遠因となったのかアーティスト自身も活動拠点をアメリカへと移してしまう。

つまりこれはカリブの小さな島国が生んだレゲエ、ダンスホールカルチャーが世界へと羽ばたいていく中で、いつか誰かが遭遇する問題だったのだ。

ちなみにシャバの名誉のためにも付け加えておくなら2010年代に入ってからのA$AP Ferg『SHABBA』のHIT以降、90年代生まれの若きヘッズたちの間でシャバ・ランクスの再評価が起こり、紆余曲折の時代を経て、押しも押されぬダンスホール界の偉大なるアイコンとして現在も君臨している。

極東の島国で目覚めたラスタ

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ウェイン・ワンダーと共に『レゲエ・マガジン』の表紙を飾るブジュ。

93年、ブジュは盟友WAYNE WONDERとの単独ツアーで二度目の来日を果たす。

全国を行脚する最中、高松に滞在中にその悲報は舞い込んできた。友人でもあったDJのPAN HEADが、銃による暴力により27歳の若さでこの世を去ったのだ。

この余りにも忌まわしい出来事により、ブジュは食事もろくに喉を通らず、三日三晩悪夢にうなされたという……。

だが、四日目の朝、彼は神からの啓示を受け一気にペンを走らす。

そうして生まれたのが、あのレゲエ史に残る名曲『MURDERER』だった。

人殺し野郎 今日俺を殺せても明日は殺せない

人殺し! お前の心は空っぽだ

BUJU BANTON『MURDERER』

ブジュがドレッドを伸ばし始めたのはそれから間もなくのことだった。

悲劇を乗り越え、ブジュ・バンタンはアイドルから脱皮してアーティストとしての新境地を開いていく。シーンの最前線を走るトップDJがいきなりのラスタ宣言をしたことは大きな衝撃を持って受け止められ、同時期に起こったガーネット・シルクの突然の死も重なって、赤黄緑のラスタ・カラーはかつてないほどのムーヴメントとなってジャマイカを呑み込んでいった……。

そして、彼が人生を変えるほどのインスピレーションを受けた“日本”という国をこの上なくRESPECTしているであろうこともここに追記しておこう。

ならばこそ『MURDERER』で使われているリディムはSTUDIO 1の古典『FAR EAST(極東)』なのだから!

90年代におけるブジュの功績

ブジュ・バンタンがアーティストとして頭角を現した90年代初頭という時勢は、折しも世界的な第二次レゲエ・ブームの真っただ中であった。

これは、1990年にMAXI PRIESTが『CLOSE TO YOU』で全米一位を獲得したことを切っ掛けに起こったものだったが、そのマキシ自身がイギリスのアーティストであることからも分かるように、ジャマイカ以外のレゲエ・アーティストもブームの中で活発に活動し、チャートは百花繚乱の様相を呈した。シャバ・ランクスやスーパーキャットと言ったブジュより少し上の世代のジャマイカン・アーティストたちもHIP HOPやR&Bに接近し、レゲエの枠にとらわれない幅広い音楽性を見せつけた。

だからこそ世界的な広がりを見せたのだ。

だが、そこまで大きくひとつの文化が広がっていく中で「では本物のレゲエとはなんなのか?」という疑問は誰もが抱くところであり、あまりに早く流行した反面バブルが弾けた後のシーンを危惧する声も少なくなかった。

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ブジュの『TIL SHILOH』が“レゲエ史に残る名盤”とされているのは当時その“答え”を誰よりも明確に提示したからであった。

名曲『UNTOLD STORIES』や『TIL I'M LAID TO REST』、『NOT AN EASY ROAD』は70年代のルーツ・レゲエを完全に現代版にアップデートしたものであったし、『MURDERER』や『WHAT YA GONNA DO?』では『FAR EAST』や『SWING EASY』など伝統的なSTUDIO 1のトラックをリメイク。かと思えば『CHAMPION』や『IT'S ALL OVER』ではバリバリのダンスホールのオケで22歳の青年らしく女性に対する思いを屈託なくDJした(そう、髭もじゃになってもブジュは“王子様”なのだ!)。

シャバやキャットなど彼の少し上の世代のスターがHIP HOPやR&BなどUSのブラックミュージックにアプローチしたのに対し、ブジュはジャマイカのオールドスクールにアプローチすることで新境地を見出した。

それはジャマイカ音楽史上、最初の“レゲエ・リヴァイバルであり、以降ジャマイカンミュージックがとめどない進化を続けていく中で定期的に「原点回帰」が行われていくこととなる。

誇張ではないがブジュが居なかったらCHRONIXXKOFFEEというアーティストも存在しなかったかも知れないのだ!!

そしてそれは、大げさではなく「ジャマイカ人としてのアイデンティティ」を表現することにも繋がっていた。『TIL SHILOH』という作品が“意味”を持ち得たのはそういう側面が大きかったのだ。

思えば、レゲエブームという狂騒の時代のさなかに、かの国のトップ・アイドルとして世界進出したブジュは活動初期から誰よりも「ジャマイカ人としての在り方」を問われる存在でもあった。

ならばこそ、あの同性愛に対するかたくなな態度だったのだろう。

“他の国ではどうか知らないが俺はジャマイカ人だ! 俺の国では小さい頃からオカマはダメだと聖書を読んで教わってきた!!”

そういうことだ。

これは非常にセンシティブな問題で、旧約聖書の記述をもとに同性愛に対して批判的になることはジャマイカのみならず世界中にある(もちろん差別はダメだが)。しかし、それも「文化」のひとつであり、どっちが正しくてどっちがダメだと日本人のぼくが一概に言及することはできない。

ちなみに、ぼく個人はレゲエは好きだが性的マイノリティの人に対して憎しみを抱いたことなどないし、危害を加えたいと思ったこともない。「日本人」ですからね!

閑話休題。

しかし、運命というのは皮肉なもので『TIL SHILOH』リリース後のブジュがレゲエ・アーティストとして不動の地位を獲得していく一方で、爆発的なレゲエ・ブームは同アルバムが発表された95年辺りを境に一気に収束していき、ブジュも『TIL SHILOH』を最後にメジャー・レーベルとの契約は一旦終わりを告げる。

それはラスタに帰依したブジュに神が与えた試練だったのか、旧約聖書に記された『ディアスポラ(流浪の民)』の如く、マネージメント的には“安住の地”を見出せないまま、ブジュは90年代後半を過ごすこととなる……。

2000年代以降のブジュ

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00年にEPITAPHからリリースされたアルバム『UNCHAINED SPIRIT』

迎えた新世紀。2000年代に入って初めてリリースされたブジュのアルバムは何とパンクのエピタフからだった。

これは、98年にRANCIDの楽曲『LIFE WON'T WAIT』にブジュが客演したことが縁で実現したもので、“インディーズでもエピタフほどの規模ならメジャーと同じ”という、いささかの打算もあったのかも知れないが、奇しくもパンクとレゲエのコラボはクラッシュの時代から続く伝統でもあった。

『TIL SHILOH』の頃はまだ伸びかけだったドレッドもこの頃になると肩を越すようになり、30歳を目前にすっかりラスタマンとしての貫禄を身につけていたブジュ。同アルバムからは聖書の言葉を朗読した『23rd PSLAM』などの佳曲が生まれている。

『23rd PSLAM』とは旧約聖書の『詩篇23』のことで、俗に『羊飼いの詩篇』と呼ばれるもの。

映画『THIRD WORLD COP』で、NINJA MANが聖書の詩篇23のページを破ってジョイントを巻いて吸う(!!)という名シーンがあることからも分かるように、ジャマイカ人が最も好きな説話のひとつでもある。

教会などろくに行ったことのないストリートのキッズでもダンスホールに行ってBUJU BANTONの曲を聴けば意識せずとも聖書の言葉に触れることができる……やはりブジュはアーティストとしてこんなところが偉大だと思う。

BAD GYAL MARIEが伝説のギャングのボスに捧げたBUJUの裏の名曲とは!?

しかし、ラスタになったと言ってもブジュはけして“聖人君子”になった訳ではなかった。むしろ、アーティストとしてはいつも泥臭く、人間味溢れるところが彼の魅力であったように思う。

00年代初頭の彼の楽曲に『TOP A DI TOP』というものがある。

『TOP A DI TOP』とは、当時流行ったスラングで“トップの中のトップ”という意味。これは、リリックの意味が分からないとさっぱり面白さが分からないので日本ではほとんど“ゲンバ”でも流れることはないが、その内容の面白さから海外ではブジュの“裏・名曲”として知られる作品である。

どういうのがトップの中のトップなのか教えてやるよ

たとえばエリートなクラスの中でさえいつもトップにいる子とかな

BAD MANで言えば、DODUS、CHAP、ZEEKS、WILLY HAGART、なんかはBAD MAN中のBAD MANだ

SKENDONも本物の悪で、しかも大金持ち

こういうのがトップの中のトップってもんだ

(※リッコーインターナショナル刊『JAMAICAN REGGAE LYRIC'S vol.1 』より抜粋)

BUJU BANTON 『TOP A DI TOP』

文字数の都合上出だしの一節しか紹介してないが、 畳み掛けるようにジャマイカの有名なギャングスタの名前を連呼していく様はまさに圧巻!! まさに「裏」の名曲たるゆえんである。

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ここに名前が出てくる中では“ドドス”ことクリストファー・コークなどは日本でも最もよく知られたジャマイカのギャングであろう。

ジャマイカが生んだ伝説の麻薬王であり、“世界で最も危険な犯罪者の一人”とBBCニュースで報道された非道のならず者。

2010年にアメリカで指名手配されたドドスがジャマイカで逮捕された際は、キングストンが内戦状態となり国家非常事態宣言が発令されたほどである……。

実は、そのドドスが逮捕される前年、一度だけ現地で日本人が所属するサウンドのダンスに姿を現したことがある。

そしてそのサウンドこそ、皆さんご存知かのBAD GYAL MARIE率いる『NOTORIOUS intl’』であった。

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ドドス登場で関係者が騒然とする中、彼女が選曲したのがこの『BUJU BANTON / TOP A DI TOP』であり、“TOP A TOP DODUS...”のフレーズがスピーカーから流れ出すと、割れんばかりの大歓声とともに集まったギャングスタが空に向けて祝砲のGUN SHOTを撃ち鳴らしたという。

まさに、我らが姐さんの“BAD”っぷりがよく分かるようなエピソードである。イイネ!!

そして、どんな崇高なリリックを書いたとしてもブジュの歌声は常にストリートの人達の側にあったということが分かる。

ガーネット・シルクをして「ボブ・マーリーの再来」と呼ぶ人は多いが、自分はむしろブジュの方が「再来」なのではないかと思う。

ブジュと「レゲエの神様」はよく似ている。

皆を導くメッセージ・チューンも数多く歌ったが、「俺は保安官代理を撃った。でも保安官は撃ってない」というBAD MANチューンも歌ったボブ・マーリーというアーティストと!


『Driver A』の大ヒット〜逮捕

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『DRIVER A』が収録された06年作の『TOO BAD』

2000年代のブジュはアーティストとして円熟期に入り、ベテランならではの音楽性の高いアルバムを多数制作。

しかし、どうやってもグラミー賞を獲得することは叶わず、業界内では「彼を敵視する同性愛者団体からの圧力だ」という噂がまことしやかに囁かれた。

実際に、彼の海外公演が同性愛者団体からの抗議により中止になってしまう、ということも何度も起こったし、ブジュ自身が“複数の同性愛者に暴行を加え、裁判沙汰に発展する”といった、どこまで本当なのかよく分からないゴシップもタブロイド紙を賑わせた(※当時このニュースは日本のレゲエ系フリーペーパーにも掲載された)。

2006年には大ネタ『TAXI』に乗せた、『DRIVER A』が大ヒット(●●●●の運び屋の歌)。

これは2000年代におけるブジュの最大のヒットとなり、この年、久々の来日ツアーも行っている。

“我らがレジェンド未だ健在!”

“やっぱりブジュはこうでなくっちゃあ!”

そう誰もが思った瞬間だった……が。

その三年後、2009年の年末にはまさかのコカイン密輸容疑で逮捕!!

運び屋の歌を歌っていた男が密輸の罪に問われて捕まってしまうとは何たる皮肉であろうか?(当時「これこそ同性愛者団体の陰謀だ!!」と声高に叫んでいたファンも多かったがさすがにそれはないと思う)

結果、ブジュはアメリカで投獄されてしまい2010年代をほぼ空白のままで過ごすこととなる……。

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結果的に2006年のジャパンツアーが最後の来日公演となってしまった

釈放〜ブジュの作品の中のある“変化”とは?

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アメリカから護送されるブジュ

そして、2018年の年末、およそ10年近い歳月を経てブジュは僕達の元に帰ってきた訳だが、正直ここまで大きなムーヴメントになるとは思わなかったし、“BUJU BANTON”というアーティストの大きさに改めて驚かされた。

一体何がこんなにも多くの人を惹きつけるのだろう?

それは、アーティストとしての音楽性の素晴らしさでもあると思うし、また、一人の人間としての色気に負うところも多分にあると思う。

そして、“どんなに倒れても人はまた起き上がれるんだ”という人間ドラマでもあるとぼくは思うのだ。

思えばブジュの人生は今までずっと「ドラマ」に満ちてきた。

『BOOM BYE BYE』を歌ってバッシングされた時。

親友を無残にも銃で殺された時。

遠く離れたアメリカで捕まった時。

並の人間なら一生かかっても体験することの出来ないような数々のトラブルと対峙して、彼はこれまでの人生を歩んできた。

口で言うのは簡単だが、まさに文字通りの『NOT AN EASY ROAD』を歩んできたのが“BUJU BANTON”というアーティストだ。

人はそんな彼の“生”の人間ドラマに惹かれるのだろう。


そして、釈放後のブジュが関わった作品の中にある興味深いものがある。

USの大物DJキャレドのシングル『HOLY MOUNTAIN』に彼が客演しているのだが、何と共演している『070 SHAKE』はLGBTとして知られているアーティストなのだ!!

これは一体何を意味しているのだろう?

釈放後すぐに“もうブンバイバイ歌いません宣言”を出したブジュだったが(何度目?)、今度こそ本当なのだろうか?

レゲエやヒップホップは本来マッチョイズムの強い音楽だが、ダイアナ・キングがカミングアウトするぐらいの時代だし、変化は着実に起こっている(それはブジュが獄中に居たここ10年ぐらいの間に起こっている変化だ)。

気づけばもう2010年代も終わりだ。名曲『DESTINY』で“運命は自分で決めろ”と歌ったブジュ・バンタンは、その言葉とは裏腹に誰よりも数奇な運命を辿ってきたアーティストだと思う……。

来たる新しい時代は今度こそブジュのあのダミ声が、人種も性別も、性的指向をも乗り越えて多くの人に届くことを願う!!

多分世界中のファンが同じ気持ちだろう。

ぼくもそうだ。

だって、16の時にブジュに憧れて「ソロバンタン」って名前になって、それで34歳になるまでやってきたんだから、さ!!(^^)




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【SOLO BANTON】

ライター / デザイナー。全国各地のフライヤーやCDジャケットをPOPに美しく彩る『ソロバングラフィック』代表。また音楽ライターとしても活躍し、特に日本のレゲエシーンにおけるトレンドを生み出す重要人物として広く知られている。

Instagram:@solobanton.desu

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